「昭和」にこだわった希代のヒットメーカー なかにし礼さん死去

【第24回日本レコード大賞】「北酒場」でレコード大賞を受賞した細川たかし(後方左から作詞家・なかにし礼、作曲家・中村泰士)=1982年12月31日、帝国劇場
【第24回日本レコード大賞】「北酒場」でレコード大賞を受賞した細川たかし(後方左から作詞家・なかにし礼、作曲家・中村泰士)=1982年12月31日、帝国劇場

 昭和の歌謡曲を作詞家として彩り、作家としても数々の名作を世に送り出したなかにし礼さんが、23日に亡くなった。希代のヒットメーカーが紡ぎ出した作品には「昭和」という時代の高揚感と悲しみが見事に表現されていた。その輝きは時代を超えて愛されている。

 昭和33年からシャンソンの訳詞を始め、菅原洋一さんの「知りたくないの」がヒットしたことや、付き合いのあった石原裕次郎さんのすすめを機に、作詞家に転じたなかにしさん。手がけた作品は約4000曲を数え、ヒットは数知れず。昭和の歌謡界を彩った。

 昭和が終わり、平成が始まった直後、転機が訪れた。「昭和天皇のご大喪の礼をテレビで見ながら、戦うというか取り組む相手がいなくなった虚脱感に覆われた」。産経新聞の取材に対し、なかにしさんはこう語り、自身の活動を「戦後の苦労などを含め、昭和という時代への慈しみ、悲しさ、憎しみや恨みを書きつづっていたことに気付いたんです」と振り返った。

 次の活動場所として選んだのは小説。「歌ではなく小説でしか書けないものを今、書いておきたい。それが使命ではないか」という思いに駆られた。作詞家から小説家の頭に切り替えるため、夏目漱石やサマセットモーム、ドストエフスキーの全集を繰り返し読んだという。

 平成10年に初の長編小説となる「兄弟」を発売。戦後の混乱期を背景に破天荒で破滅的な人生を歩む兄と、作詞家として成功した弟の愛憎をつづった自伝的小説で、13年の「赤い月」でも実母をモデルに悲惨な引き揚げの経験を描いた。21年に産経新聞に連載した「世界は俺が回してる」では、戦後の高度成長期に斬新なテレビ番組やイベントを仕掛けた放送マンの光と影を描いた。活動分野が変わっても、昭和への強い思いは変わらなかった。

 自身のこだわりを貫きながらも、人気作を量産するのはさすがというほかない。21世紀に入っても、今年10月に死去した筒美京平さんが作曲を手がけ、なかにしさんが作詞した「AMBITIOUS JAPAN!」(15年)は、アイドルグループ、TOKIOの代表曲の1つに。24年には氷川きよしさんの「櫻」で日本作詩大賞を受賞するなど、ヒットメーカーぶりは晩年まで健在だった。

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