「だいじょうぶだぁ」来年は聞きたい 鹿間孝一

 米タイム誌の年末恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に、次期大統領と副大統領就任が確実のバイデン、ハリス両氏が選出された。「良くも悪くもその年の出来事に最も影響を与えた」という選考基準に照らすとトランプ大統領も有力だが、まあ順当と言える。

 ただし、今年は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に尽きる。2014年に「エボラと闘う人々」という前例があるのだから、医療従事者ら「コロナと闘う人々」を選ぶべきだろう。

 日本なら個人的には志村けんさんが「今年の人」だ。新型コロナウイルスに感染して、3月29日に70歳で亡くなった。

 私事だが、3月に北海道小樽市で高校の同窓会が開かれた。卒業して50年の節目で、案内状には学園紛争の余波で中止になった卒業式を兼ねて、とあった。

 2月末に北海道で感染者が急増し、知事が緊急事態宣言を発した。幹事に問い合わせると、欠席の連絡が相次いでいるが予定通り開催するというので、迷った末に出席を決めた。

 新千歳行きの飛行機は定員の半分以下で、観光名所の小樽運河の周辺も人はいない。閑散とした街に緊張感が漂っていた。

 それでも同窓会では円卓を囲んで酒を酌み交わし、昔話で盛り上がり、肩を組んで校歌を歌った。思い出すと冷や汗が出るが、コロナ禍は自分には関係ないと甘く考えていた。

 志村さんの死去はターニングポイントになった。

 ザ・ドリフターズの一員として、「バカ殿」や「変なおじさん」のギャグで世代を超えて親しまれた。海外のメディアも「日本の喜劇王」と報じた。テレビで笑いを振りまいていた姿からは、突然の訃報が信じられなかった。

 4月7日、7都府県に緊急事態宣言が発令され、その後、全国に拡大された。感染拡大を食い止めるため、学校は休校になり、商店・飲食店などは営業自粛、在宅のテレワークが広がり、スポーツもイベントも軒並み中止…。かつてない異常事態だったが、人々は日本人のモラルの高さを示して粛々と行動した。私見だが、その裏には新型コロナウイルスの恐ろしさを広く伝えた〝志村ショック〟もあったのではないか。

 コロナ禍は年を越す。年末年始が正念場である。志村さんは戻らないが、来年は日本に笑いを取り戻したい。「だいじょうぶだぁ」。志村さんの声が聞こえる。

 【プロフィル】しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースは「浪速風」で配信)を執筆した。

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