「巨人に勝ってこそ真の日本一」。昭和51年の阪急が掲げた大目標である。
この年の阪急は史上「最強軍団」と呼ばれた。エース山田久志が26勝(7敗5S)で最多勝を獲得。福本豊も盗塁王(62盗塁)、加藤秀司も打点王(82打点)に輝き、前後期制覇で宿敵・巨人との〝決戦〟を迎えていた。
◇第1戦 10月23日 後楽園球場
阪急 010 030 011=6
巨人 200 002 000=4
【勝】山口1勝 【敗】小林1敗
【本】王①(山田)中沢①(小林)
ドラマは六回に起こった。1死三塁で打席に王を迎えた。上田監督がマウンドの山田に駆け寄る。誰もが「敬遠」と思った。ところが捕手の中沢は立たない。勝負? スタンドはどよめいた。1-3後、タイミングを外しに行ったスローカーブ。王のバットが一閃、打球は満員の右翼席上段へ飛び込む同点2ラン。そして続く末次が右前へ。過去、何度も見た悪夢がよみがえる。
マウンドに山口が上がった。投球練習で速球を投げ込むたびに「オオーッ」とスタンドから驚きの声があがる。ジョンソンが2-1から三振。続く吉田も3球で三振。すべて速球。
八回、マルカーノが右前タイムリーで決勝点を奪うとその裏、張本を詰まった左飛に、王も1-1から捕邪飛に打ち取った。3回2/3を投げ2安打5奪三振、無失点。47球のうち38球が速球だった。
「山口にやられました。それほど速いという感じはしなかったんですが…」
長嶋監督がクビをひねった。実は山口の速球には〝からくり〟があるという。南海・野村克也監督の分析によると-。
「山口の高めのボールに巨人打線は手を出した。彼が背の高い投手で上から投げおろす感じなら、ああ簡単には引っかからない。ところが山口は1メートル72、投手としては低い方だ。同じレベルから投げ、打者の近くで浮き上がる。だから引っかかってしまう」
さらに野村分析は続く。
「山口の投球モーションは小さい。普通の投手のように1・2・3のタイミングではあの速球は打てない。2を抜いて1・3でないと…」
『阪急先勝! 山口仁王立ち』。翌日の新聞の見出しが躍っていた。(敬称略)