「数の論理以外の空間を」 東浩紀さん『ゲンロン戦記』、時代と格闘した10年間

「売れるか売れないかとは別の軸でものが動く空間は必要」と語る東浩紀さん(松井英幸撮影)
「売れるか売れないかとは別の軸でものが動く空間は必要」と語る東浩紀さん(松井英幸撮影)

現代日本の思想界で大きな存在感を示す哲学者、東浩紀さん(49)が創業した出版社「ゲンロン」が、今年で10周年を迎えた。時に経営危機に見舞われつつも、自らの哲学を実践し続けた10年の試行錯誤を率直につづった東さんの新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)は、部数やウェブサイト閲覧数の極大化を追求する数の論理が言論界を席巻した2010年代の中で、自身が目指したもう一つのあり方を熱く語る。(文化部 磨井慎吾)

失敗談も赤裸々に

ゲンロンは東さんが中心になって平成22年に設立。対談などの文化イベント会場として知られるゲンロンカフェ(東京・五反田)やアートスクールを運営するほか、思想誌『ゲンロン』や25年刊の『福島第一原発観光地化計画』、29年刊の『ゲンロン0 観光客の哲学』などの出版物でも知られ、2010年代日本の知的世界にさまざまなインパクトを与えてきた。

東さんは創業後、大学などのポストを辞し、一昨年末まで代表取締役社長としてひたすらゲンロンの経営に専念してきた。本書では、人間関係のトラブルや部数の見込み違いによる倒産の危機など、手痛い失敗も含めた経営者としての実感を赤裸々に告白。「日本の言論界全体を体質改善するため、その基礎固めをやってきたつもりですが、ようやくできたのかな、という感じですね」と10年間の感慨を語る。

「今までの自分が大学人としてどれだけ狭い視野で世界を見ていたかが分かったし、生活者として、すごく世の中をきちんと見れるようになった。同時にリベラルな文系大学知識人がなぜ社会で信用を失っているかというのも、すごく実感できるようになった」

SNSに失望した10年

創業当初は、ツイッターなどをはじめとする会員制交流サイト(SNS)の急拡大期。ネット上の人々の結びつきが社会を変革し、新しい民主主義のあり方が生まれるとの期待が膨らんだ時代だった。ゲンロンもそうした可能性を信じて創業されたが、SNSでの左右の動員合戦や過激な発言で耳目を集める「炎上」の利用が日常化し、世界的にも市民の分断が顕在化する中で、期待は徐々に失望に変わっていったという。  「次第にネットは世界を変えないということが分かってきたし、SNSも結局ハッシュタグ競争。毎日のように新たなハッシュタグができ、どんどん忘れられていく。そこで数万人が反応したりするとすごく自分に影響力があるような気がするし、世界が動いたような気がするけど、実は何も動いていない。ゲンロンがやるべきなのは、そういう数が支配する世界に対し、そうじゃない空間をどうやって作っていくかだということが見えてきた」

東さんが目指したのは、大学アカデミズムなどに対するオルタナティブ(主流に代わる選択肢)の場を作ることだった。若手の文系知識人が就ける大学のポストは限られる一方、右肩下がりの出版不況下で窮した版元の評価軸は「売れるか売れないか」に偏り、気鋭の批評家がデビューしても専業では生活できない。こうした状況が、右も左も数の論理に覆われた現代日本の言論界の閉塞(へいそく)感につながっているとみる。

「文系大学知識人がすっかり社会的信用を失っている中で、もし論壇を復活させるとすれば、大学知識人の枠を超えたさまざまな人が活発に情報を発信し、生活費が稼げる空間を作るしかないのではないか。そこでお金を回し、次の世代を作るエコシステムを構築しなければならない」

良く生きるための道具

その一つの到達点が、10月にオープンした放送プラットフォーム「シラス」だという。無料で広く配信して広告収入の極大化を目指す従来の動画サービスとは異なり、シラスは視聴者が払った購読料が配信者を支える広告なしの原則有料制。むやみに閲覧数の拡大を狙わなくても、内容重視の配信を行って千人単位の固定客をつかめれば十分に食べていけるモデルを設計した。現在、ゲンロンカフェのイベント生中継チャンネルのほか、雑誌『ゲンロン』の執筆者らがチャンネルを開設している。

「実はシラスみたいなものがもっともぼくの哲学に近いんです。つまりシラスというのはみなさんのための道具で、ぼくの考え方を伝えるためのものではない。哲学とはそういうもので、このように生きるべきだとか、今考えるべきことはこうだ、みたいなことを伝えるものではなく、みんなが良く生きるための一つの道具なんです」

この10年の間に、ゲンロンという会社そのものが、自らの哲学の表現であると自覚するようになったという。「シラスやゲンロンカフェのようなことをやっていると自然とみんな哲学者になると思うんですよ。失敗だらけであったとしても、一応できるというのはここに本になっているので、勇気づけられる人が増えたらいいなと思います」

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