勇者の物語

母の言葉「あとは昇るだけ」 最下位から優勝 虎番疾風録番外編135

小林が、王が歓喜の輪の中で長嶋監督を胴上げした=広島球場 
小林が、王が歓喜の輪の中で長嶋監督を胴上げした=広島球場 

■勇者の物語(134)

物語は一足飛びに…。昭和51年10月16日、広島球場。130試合目のシーズン最終戦で巨人は広島に5-3で勝利。2位阪神の激しい追い上げをかわして、3年ぶり29度目のリーグ優勝を果たした。王や小林や張本たちが、歓喜の輪の中で長嶋茂雄監督を宙に押し上げる。前年の最下位からまさに〝奇跡〟の優勝だった。

50年、川上哲治監督の後を受けた長嶋監督は「クリーン・ベースボール」を掲げ、背番号「90」をつけ、ユニホームやコーチ陣を一新して臨んだ。だが、前年に引退した森昌彦、黒江透修の抜けた穴を埋められず、オープン戦で頼みの主砲・王も故障。4月12日に最下位に転落し、以後一度も浮上することなく球団史上初の最下位に沈んだ。

東京・田園調布の自宅には心ないファンの嫌がらせの電話や手紙が殺到した。千葉県佐倉市の実家の電話も一日中鳴り響き、石まで投げ込まれたという。長嶋が初めて味わう屈辱だった。

51年正月、佐倉の実家で母・チヨさんが傷心の長嶋を前にこう言った。

「心配することはありません。あなたは1度失敗した方が強くなる子です。最初、金田さんに抑えられても次には打ったでしょ。去年、あなたは落ちるところまで落ちました。あとは昇りしかありません」

母・チヨ-。ボールを欲しがる長嶋少年にビー玉を詰めた手縫いのボールを作って渡した話は『長嶋物語』では欠かせない有名なお話。なかなか丸くならず何度も針を手に刺し、血まみれになって作ったという。立教大へ入学した6月に父・利さんが死去。大学を辞めて働くと言い出した長嶋に「あなたは大学を出なさい。私が働きます」と野菜の行商にでて家計を支えた話も有名である。

母の言葉に長嶋は再び立ち上がった。日本ハムから張本勲、太平洋クから加藤初らを獲得。宮崎・青島キャンプで選手たちと泥にまみれて練習した。

このとき阪急は前後期を制覇し2年連続のリーグ優勝を決めていた。上田利治監督は巨人の優勝を歓迎した。

「阪神には悪いが、巨人に出てきてほしかった。巨人には過去、何度も負けた。あの歯がゆさがエネルギー源となった。もう、昔の強い巨人とは違う」

さぁ、巨人との6度目の決戦である。(敬称略)

■勇者の物語(136)

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