話の肖像画

東京五輪金メダル1号、重量挙げ・三宅義信(81)(6)競技人生の師、才能が開花

大学進学後。さらに競技に適した体格に鍛え上げ、周囲の期待も大きくなった
大学進学後。さらに競技に適した体格に鍛え上げ、周囲の期待も大きくなった

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《重量挙げは自分の体重の2倍以上にもなるバーベルを一瞬で頭上まで持ち上げる。そのため、肉体的には不断の努力と、精神的には研ぎ澄まされた集中力が要求される。その才能は、宮城県立大河原高(現・大河原商)の2年生から競技を始めてすぐに開花した》

強くなるにつれ、練習で通っていた武者修行先の柴田農林高では風当たりが強くなっていきました。試合のたびに記録を伸ばすもんだから、周りは面白くなかったのでしょう。練習に行くと「今日は休みだ」と追い返されたり、バーベル磨きをさせられたり。次第に自宅で1人、砂利で作った手製のバーベルやトロッコの車輪を使って練習をするようになった。そんな時に頭に浮かんだのが、米国人のマーチン先生です。

マーチン先生は大学で体育心理学を教え、高校の重量挙げ大会の顧問などもしていました。米国といえば重量挙げで世界トップレベル。そのマーチン先生に、自分は本当に競技に向いているのかを見極めてもらおうと考えたのです。思い立ったが吉日。紹介を受けて仙台市内の自宅を訪ねると、先生は私の体を見て「胴が長くて足が短いし、胸板は厚い。(柔軟性を確かめて)前に柔らかく、後ろに硬いのも重量挙げに向いている」と太鼓判を押してくれてね。さらに「お前は強くなる。頑張ってやりなさい」と付け加えてくれた。この言葉を私は信じたのです。

以来、先生に練習を見てもらうために、アルバイトで稼いだお金をつぎ込んで仙台まで通いました。大学の講義を受けたこともある。目標とする人を見つけてその人を目指すことや、スポーツ選手は普段の生活から自らを律しなければならないというマーチン先生の教えは、私の競技人生においての基盤になっているよ。

《競技歴わずか1年で昭和32年静岡国体を高校記録で優勝。全国にもその名が知られていく》

おやじにはいつも怒られていたんだ。アルバイトと練習を終えて帰宅すると、「何でこんなに遅くなるんだ」とね。家から閉め出され、牛小屋で寝たこともある。でも私は競技に夢中だったから、こんな生活でも大変だと思ったことはなかった。

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