勇者の物語

ウエさんの危惧 「江夏がほしい」宣言の背景 虎番疾風録番外編133

背番号「17」をつけた南海の江夏(左は野村監督)=大阪球場
背番号「17」をつけた南海の江夏(左は野村監督)=大阪球場

■勇者の物語(132)

江夏の放出はすでに南海との間で話ができている-と思っていた報道各社にとって、上田利治監督の「ウチも江夏が欲しい」宣言は驚きだった。

「まだ正式に南海へ-と決まったわけではないんだろう。それなら放っておく手はない」

新聞記事が出た20日、上田監督は西宮球場に全コーチを招集。江夏獲得の賛否を問うたところ、全員が「賛成」。すぐさま球団に獲得を要請した。

「阪急としても最大限努力する。見返りは覚悟している」

上田監督は本気だった。この阪急の動きに呼応して日本ハムも獲得に名乗りを上げた。三原脩球団社長が「ウチには交換できる選手はいないが、トレードマネーとして1億円を用意している」とぶち上げたのである。

江夏争奪戦の勃発か-。だが、実際はあっさりと決着がついた。東京で開催された私鉄関連の会合で南海・川勝傳オーナーが阪神・野田忠二郎オーナーへ「江夏君は絶対にほしい。ウチとしても成立へ努力します」と声を掛け、トップ同士で合意に達したのだ。

1月26日、大阪・梅田の球団事務所に江夏が長田社長を訪ね「心機一転、新天地で頑張ります」とトレードを了承。阪神側から江夏、望月充外野手。南海側から江本孟紀投手、島野育夫外野手、長谷川勉投手、池内豊投手-の2対4の交換トレードが成立した。江夏は南海から提示された背番号「16」「17」「21」の中から「17」を選んだ。

「16は江本、21は杉浦さんの番号。これからの人生で17を大きなものに作り上げたい」

ところでなぜ、上田監督は無謀とも思われる江夏の獲得に名乗りをあげたのだろう。後年、上田はこう語った。

「戦いはグラウンドだけじゃない。ライバルチームのトレードを潰すのも大事な戦略のひとつ。江夏が入れば確実に南海の戦力はアップするからね。ただ、あのときは阪神と南海の情報を入手するのが遅すぎたよ」

昭和50年に総合5位(前期5位、後期3位)と低迷した南海が、江夏の加入で翌51年は総合2位(前後期2位)に躍進した。上田監督の危惧は当たっていたのである。(敬称略)

■勇者の物語(134)

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