話の肖像画

東京五輪金メダル1号、重量挙げ・三宅義信(81)(5) 決断と出会いが道を開く

高校2年生のときに重量挙げと出合い、その魅力にすぐのめり込んだ
高校2年生のときに重量挙げと出合い、その魅力にすぐのめり込んだ

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《中学卒業後は「力が強い」という理由で農林高校への進学を勧められたが、自らの意思で普通科の宮城県立大河原高(現・大河原商)を受験した。この決断で運命が動き出す》

東京で働く兄を見ていたので、「これからの時代は幅広く勉強しないといけない」と考えていたんです。だけど、すんなりとはいかなかった。父に「高校へ行かせる金はないから養子に出す」と言われたので、2月に高校を受験だけして、とりあえず養子先である東京で工場を営む親戚の家へ向かったんだ。でもすぐに、ここには自分の生きる道はないと悟ったよ。飯の準備や庭掃除のような仕事ばかりさせられて、雨漏りのする部屋で寝かされるんだから。

自分の人生は自分のもの。自分で決めなければ後悔する。その決意を固め、友人からの手紙で高校合格を知った私は養子先を飛び出した。帰郷するとおやじに怒鳴られた。でもおふくろは黙って高校の入学金5千円を工面してくれてね。あの時の自分の決断と子を思う母の気持ち。この2つがなかったら今の私はなかったよ。

《重量挙げという競技を知ったのは高校2年のとき。打ち込んでいた柔道がけがでできなくなっていた時期が、昭和31(1956)年メルボルン五輪のラジオ実況を耳にするタイミングと重なった》

もともとスポーツ好きで、特に中学の授業で覚えた柔道が楽しくてね。一本背負いなど数々の技を覚えていた直後、手合わせを求めてきた有段者の人に右腕を取られ、右肩脱臼と骨にひびが入ってしまったんだ。全治3カ月。悔しくてね。「勝つためにはパワーだ」と、先輩の紹介で見学したのが、近隣の柴田農林高校の重量挙げ部でした。そのすぐ後ですよ、夜のラジオでメルボルン五輪の重量挙げの実況を耳にしたのは。

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