話の肖像画

東京五輪金メダル1号、重量挙げ・三宅義信(81)(4) 力の強さは三宅家の血筋

中学に進学したころ(右)。日課の畑仕事で、がっちりした体つきになっていた
中学に進学したころ(右)。日課の畑仕事で、がっちりした体つきになっていた

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《幼少期から好奇心旺盛で運動神経もよかった。自分で中学の学費を稼ぎながら、自分に合うスポーツを探していたという》

(宮城県村田町内の)中学に入学する前、洋裁学校に進んでいた姉がサージ(綾(あや)織りの生地)素材の制服をプレゼントしてくれてね。当時はまだ物がない時代で、サージは高級品。周囲から「お前のはすごいな」なんて声を掛けられたりして、それが誇らしかった。大家族の家は貧しかったが、きょうだいはやっぱり、ありがたいもんです。

中学に入っても、働くことが当たり前だった小学生時代と環境はあまり変わりません。中学では放課後のクラブ活動が盛んになったが、自分の学費のほとんどをアルバイトで稼いでいた私は、放課後になると農作業の手伝いや新聞配達に走り回っていた。

とはいえスポーツは好きだったからね。空き時間を見つけてはドッジボールやバレーボール、野球や柔道などの練習に飛び入りで参加していた。中でもバレーボールは個の力でいくら点を取っても、チームワークのいい相手には勝てない。チームプレーという競技は1人の力ではどうにもならないことを実感したよ。

《柔道では県大会に出場した》

授業で覚えた柔道は技が楽しくて、自分に合っているように思えた。ただ、当時は体重での階級制がなく、大きい人も小さい人もごちゃ混ぜで戦う。私の体重は50キロはなかったから、100キロもある人と当たって抑え込まれると、何もできないんだよ。体重というハンディも、いくら頑張ってもはね返せない。小柄な自分に向いたスポーツはあるだろうかと考えていました。

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