勇者の物語

トレード通告 江夏、首脳陣と不協和音の果て 虎番疾風録番外編132

阪神・江夏へのトレード通告を1面で報じる1月20日のサンケイスポーツ
阪神・江夏へのトレード通告を1面で報じる1月20日のサンケイスポーツ

■勇者の物語(131)

昭和51年は衝撃のニュースで幕が開いた。1月20日、サンケイスポーツの1面に『江夏にトレード通告』『南海移籍』の大見出しが躍った。

阪神球団は19日、大阪・梅田の球団事務所に江夏豊を呼び、長田球団社長から「君をトレードに出す」と通告。江夏は「しばらく考えさせてほしい」と返事を保留した。

2時間近い話し合いを終え、記者会見に臨んだ江夏の表情には、寂しさや悔しさ、落胆が混じっていた。

「トレードを通告されました。ほんまです。これまでのいきさつから〝ひょっとしたら〟と思ってはいたが…。何のために9年間やってきたか。きざな言い方をすれば、オレの青春を過ごしてきたところはタイガースや」

江夏放出-の話はここ数年、毎年のように起こった。大阪学院高から41年の第1次ドラフトで阪神に1位指名(巨人、東映、阪急と競合抽選)で入団。6年連続の最多奪三振など数々の記録を打ち立て、エースとして君臨した。半面、ワンマン的な性格は首脳陣や選手との間に不協和音を奏でた。

49年に吉田義男が監督に就任する際、球団や本社上層部は「江夏の放出」を進言した。吉田監督は「多少の問題児でも、うまく使っていけば潜在能力を発揮してくれる」とその声を抑えた。

だが、期待は裏切られた。遠征先の宿舎ではほとんどの選手が江夏との同室を嫌い、移動の新幹線でも隣の席は嫌がられた。成績も12勝12敗6S、防御率3・07。長田球団社長は決断した。

「これまでの話し合いの中で、阪神のためにどうしても頑張りたい-という前向きの姿勢が見られなかった。阪神に100%溶け込んでやるという意欲のない選手と球団は契約しない」

通告の席で阪神は江夏に移籍先を告げなかったが、ほとんどの新聞社が「南海へ」と報じた。それは50年12月から、阪神と南海の間で、江夏-江本孟紀、島野育夫を柱にした複数トレードの交渉が非公式で進められていたからだ。

そんな状況の中で突然、阪急の上田利治監督が「江夏を出すのならウチもぜひ、欲しい!」と手を挙げたのである。(敬称略)

■勇者の物語(133)

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