昭和50年シーズン、山田は苦悩していた。12勝10敗2S、防御率4・32。被本塁打36はリーグ最多。シーズン終盤には8試合連続で一発を浴び、近鉄とのプレーオフでも第1戦に足立をリリーフし、伊勢に満塁ホームランを浴びるなど1イニング7失点。自信を失っていた。
そんな傷心のエースが第2戦のマウンドに登った。
◇第2戦 10月26日 西宮球場
広島 000 000 010=1
阪急 100 040 00×=5
【勝】山田1勝 【敗】佐伯1敗
【本】シェーン①(山田)
阪急は一回、福本が四球で出塁し二盗。加藤の一ゴロで三進し長池の中前タイムリーで先制。五回には1死一、二塁から福本、大熊の連続タイムリーなどで一挙4得点。味方の援護に山田の右腕はよみがえった。緩急を巧みに使い分け広島打線を翻弄。3安打完投、八回にシェーンに打たれた一発だけに抑えた。
「最初から飛ばしたよ。後ろにタカシがいるからね」。久々に見るエースの笑顔だった。
ネット裏で観戦していた元巨人参謀の牧野茂(評論家)はこう評した。
「山田のタマ離れは実に遅い。王も右足を上げると、まだか、まだか…という感じで体が突っ込むことが多かった。タイミングが合わせづらい投手だ。赤ヘル打線も、ふんわりと降ってくる蜘蛛(くも)の糸に絡まれるように、山田の術中にはまってしまった」
蜘蛛の糸の投球術-とは、うまい表現である。
かつて巨人は山田を攻略した。投球ビデオを集め、左足を上げてからボールを離すまでの時間を計った。1・8秒。普通の投手は1・2秒。実に0・6秒も遅い。この投球にタイミングを合わせるための研究が行われた。
「普通、投手が足を上げたときに打者はバックスイングに入るが、山田のときはまだ動いてはいけない。テークバックで背中越しに山田の右手首が見えた瞬間にバックスイングに入る。こうすればタイミングが合うことが分かった」
46年の王のサヨナラ3ランもこうして生まれた-と牧野はいう。初優勝の広島には、そんな攻略法を研究する余裕も時間もなかった。(敬称略)