新聞に喝!

三島没後50年、視点の多様性に意味 美術家・森村泰昌

第3波が深刻な状況となった新型コロナウイルスの記事は、当然新聞紙上に多く登場する。しかしそれとは別に、11月に頻出したのが三島由紀夫に関する記事だった。昭和45年、日本の世直しを訴えて陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。その衝撃の強さは今もなお多くの人の心に残る。

没後50年を迎える11月25日の前後、各紙が三島由紀夫に関する記事を掲載したが、特に産経はその数が多かった。3回にわたる連載「三島由紀夫の遺言 決起から50年」や、小説家の平野啓一郎氏や狂言師、野村萬斎氏へのインタビューがあった。清湖口敏氏のコラム「言葉のひと解き」にも「あれから50年」というタイトルで三島のことが書かれた。さらに大阪に住む私は「喜怒哀楽 地方にこそニュースがある」欄で、「三島がいた」と題する連載も目にした。三島作品の「潮騒」「金閣寺」とそれらを生んだ伊勢・神島、京都・舞鶴という土地との関係が紹介された。同連載では10月にも、「仮面の告白」と「奔馬」を取り上げていた。

それらの記事は、三島についての多様な角度からの視点が読み取れて興味深かった。例えば先にあげた「言葉のひと解き」には、三島決起の翌月に、「中国国営通信、新華社が日本の『尖閣諸島領有』を批判する記事を掲載した」とある。日本万国博覧会が華々しく開催され、その終了を待つかのようにして三島のあの出来事があり、さらには中国が「にわかに尖閣諸島の領有権を言い始めた」という。三島が憲法改正論者であったことを思えば、今から50年前に、現在の日本が抱える政治問題が出そろっていたことになる。

しかし三島をテーマに作品を制作した経験のある美術家としての私は、三島を政治問題と関連づけてとらえ過ぎることには否定的である。三島は小説家であることによる自己救済を試みたがそれが果たせず、結局政治と文学、現実と虚構という相いれない領域の境界線上で、いずれの領域にも属しえず、いわば彷徨(さまよ)える日本人たらざるを得なくなり、最後に到達したのがあの11月25日だったのではないだろうか。

もちろん人間ひとりの死の真相は単純ではない。むしろ多様な解釈と問いかけを投げかける姿勢が重要である。三島由紀夫をめぐるこの度の各種記事にはその多様性が感じられた。同様の多様な視点が他のページでも多く見られることを望みたい。

【プロフィル】森村泰昌

もりむら・やすまさ 昭和26年、大阪市生まれ。京都市立芸大専攻科修了。ゴッホなど名画や歴史的な人物に擬した写真作品を発表。著書に「自画像のゆくえ」など。