鑑賞眼

阿佐ヶ谷スパイダース「ともだちが来た」 青春の落とし物と向き合う覚悟

阿佐ヶ谷スパイダース「ともだちが来た」より、(左から)森一生、土佐和成(aka Eva撮影)
阿佐ヶ谷スパイダース「ともだちが来た」より、(左から)森一生、土佐和成(aka Eva撮影)

 ある夏の日、「私」の前に自転車で現れた「友」。高校の同級生である私と友の会話のみで構成される鈴江俊郎の戯曲「ともだちが来た」は、演者と観客が戯曲の余白を埋めていく、それでいて正解のない難易度の高い作品だ。

 今回は平成9年に岩松了演出で「友」を演じた「阿佐ケ谷スパイダース」の中山祐一朗が演出を担当。坂本慶介が私、本多力が友を演じるAバージョンと、土佐和成が私、森一生が友を演じるBバージョンがあり、Bバージョンを見た。

 四角形の舞台を囲む2面が壁、2面が客席となっており、2人は中央の舞台ですべてを凝視される。逃れられない緊張感が人生に行き詰まっている「私」の心情と重なる。

 会話の中から、「友」が1週間前に自死したこと、2人が高校時代に剣道部だったことなど、2人の関係性が明らかになっていく。「友」は幽霊なのか、それとも「私」の幻なのか、すべては「私」の身勝手な思い込みかもしれない。そして、「友」は強烈な呪いの言葉を吐く。

 「俺のこと忘れないでいてほしいんだよ」

 それは裏を返せば、忘れたくないという「私」の祈りの言葉でもある。

 土佐の生々しい存在感と森のひょうひょうとした雰囲気が、役によく合っている。別バージョンはまた違った印象らしく、両方を確かめたくなる仕掛けだ。

 「阿佐ケ谷スパイダース」主宰の長塚圭史は、コロナ禍にこの作品を上演しようと思った理由を「この戯曲が孤独と死を深く見つめるから」だと語る。人と人のつながりをウイルスによって絶たれ、孤独と向き合わざるを得なかった今年、この作品が問いかけるのは、「忘れたくない」という他者への思いの強さかもしれない。

 ただ、解釈は人それぞれ。親切なエンターテインメントではないから、観客は選ぶだろう。青春時代の落とし物と向き合う覚悟がある人にはおすすめだ。そこには甘酸っぱい思い出だけでなく、苦く思い出したくない過去もある。忘れたくない過去を忘れていくことが生きることだと諦めてはいるが、たまには麦茶を飲みながら、探し物をするのもいい。

 13日まで、下北沢小劇場B1(東京都世田谷区)。問い合わせは阿佐ケ谷スパイダース070・4136・5788。(道丸摩耶)

 公演評「鑑賞眼」は毎週木曜日正午にアップします。