■目を覚まさせた米田監督の言葉
しかし、それが「甘い考えだった」と痛感するまで、そう時間はかからなかった。社会人になり徳洲会に加入した瀬島は、ここから、のたうち回るような競技生活を送る。
2年目の15年、左膝の半月板を損傷。縫合手術を受けた。「社会人になって手術したら終わりやろ。やめるしかないのかな…」。ある日の練習。上半身のトレーニングを終え、体育館の隅で、ぼんやりストレッチをしていた。
近寄ってきた米田に聞かれた。「何してんの?」「やることは終わったんで」と答えた。すぐにトレーニングルームにあるミーティングスペースに連れていかれた。
「やることないの?」「ないです」。すると米田の語気が強くなった。「やることがないなんてことはないから」。意味を把握しかねている瀬島に米田は畳みかけた。
「お前に目標があれば、そこに向かってできることはある。脚が使えなくても腕や体幹を鍛えられる。たとえ体を動かせなくても、人間的に成長すればいい。引退後に指導の道に進むなら話す練習をしに行けばいいし、海外に行きたいなら英語の勉強だっていい。ゴールを定めて、そこに近づいていこうとするなら、やることなんていくらでもあるんだよ」
瀬島は返す言葉がなかった。「ドーンって雷に打たれたみたいでしたね」。自分の甘さが身に染みた。
そこから今まで以上にリハビリに真剣に取り組むようになり、筋力トレーニングにも励み、体は一回り大きくなった。チームのスポンサーである人材教育コンサルティング会社の講習を受け、目標を達成するための思考法も学んだ。
そして、反転攻勢を誓った翌16年。10月の全日本シニア選手権直前に瀬島は再び左膝を痛めてしまう。膝の中でめくれた半月板が関節に引っかかり、伸ばすことも曲げることもできなかった。新宅裕也コーチに助けを求めながら涙が出た。