朝晴れエッセー

踏ん張れ・12月8日

旅できれいな風景に出会う度、おいしいものを食べたとき、寂しい人生を送り最後には自分で命を絶った母にも見せたかった、食べさせたかったと切なくなる。

コロナのもたらす悲しい話を耳にすると、最後まで悩み暗い顔でうつむいていた母の姿を思い出す。

母は「雅子を高校にあげてやれません」と遺書に残した。私は墓に向かう度に「私は高校を飛び越して大学院を修了したよ。なぜ、もっと一緒にいられなかったの。どんな暮らしでも母や弟の3人での暮らしが一番幸せだったのに」と心の中で愚痴めいた言葉をつぶやく。

母の死後、親戚の家で毎日空腹に耐えた日々。結局、高校には行けずに個人医院の住み込みで働きながら准看護師となった。しかし、結局耐えられずに医院を飛び出し路頭に迷った。やっと落ち着いたときには30歳となっていた。

踏ん張れ。自分に言い聞かせながら大検、通信大学を普通の大学生と同じ4年で卒業した。母は生活保護の打ち切りにおびえたために逝ってしまった。

行政や生活への不安に苦しむ母のような人を一人でも救いたいと思っていた私は、弁護士を目指して法科大学院を修了した。気づいたら50歳となり、母の亡くなった49歳を超えていた。

50歳を超えて、より母を身近に感じる。そして、母に味わわせたかったことやしてあげたかったこと、一緒にしたかったことも積もっていく。

コロナで生活や仕事の不安が社会にあふれていく。私たちや母のような人生を生みだしてはならない。立ち向かえ、とはいわない。でも、家族は何よりもあなたと一緒にいることを望んでいるはず。

踏ん張れ。踏ん張って生きて。

高橋雅子 54 千葉県君津市