【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】闘争心かき立てるベートーベン - 産経ニュース

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モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

闘争心かき立てるベートーベン

漫画家の浦沢直樹さんが描いたベートーベン「運命~ベスト・オブ・ベートーヴェン」のジャケット(ユニバーサル ミュージック提供)
漫画家の浦沢直樹さんが描いたベートーベン「運命~ベスト・オブ・ベートーヴェン」のジャケット(ユニバーサル ミュージック提供)
聴けなくなった楽聖の交響曲

 「第9」のシーズンだ。コロナ禍のなか、さまざまな配慮をしながら公演の準備を進めている方々に熱いエールを送りたい。コロナで暗くなりがちな世界、分断が深刻化する世界に向かって「歓喜の歌」を高らかに響かせてほしい。生意気な物言いになるが、深刻な状況だからこそ、単なるお祭り騒ぎにならず、作品の深さが表現できるのではなかろうか。深さとは何か。モンテーニュの次の言葉がヒントになるはずだ。

 《人間も竹馬をぬがせて計るがよい。財産や名誉はわきにおいて、シャツ一枚で来させなさい》(第1巻第42章「我々の間にある不平等について」)

 おのおのがシャツ一枚になる勇気、それこそが連帯、ひいては分断のない近代市民社会の土台になるのだ。

 こんなことを書きながらふと思った。私自身はベートーベンの交響曲をほとんど聴かなくなっているではないか。コンサート会場で聴いたのは、クリスティアン・ティーレマンとウィーン・フィルによる「第4番」と「第5番」が最後だったはずだ。7年も前のことだ。

 思い返せば、初めて自分で買ったクラシック音楽のレコードは、ベートーベンの「交響曲第5番」とシューベルトの「交響曲第8番」を組み合わせた盤だった。指揮はブルーノ・ワルター。14歳のときだった。それ以降、クラシック音楽生活の中心には常にベートーベンがいた。交響曲全集、弦楽四重奏曲全集、ピアノ・ソナタ全集をいったい何種類そろえたことか。

 それにもかかわらず、交響曲を聴かなくなってしまった理由は何か。おそらくエネルギーが凝縮され、隙なく構築された作品を受け止める集中力がなくなってしまったからだろう。付け加えるなら、闘う人のためにつくられたように感じられる作品群は、定年を迎え人生の闘いから半分降りた気になっている自分には遠い存在となってしまったのだ。要するに、老いとそれにともなう無気力で、聴かないのではなく、聴けなくなっていたのだ。

 他の人々を情けない自分の同類にするつもりはないが、国内の主要オーケストラ25団体が加盟している日本オーケストラ連盟が毎年発表する「定期演奏会演奏回数ランキング」を見て、「日本人は大丈夫か」と思った。

 不動の首位はベートーベンで、これをモーツァルト、ブラームス、チャイコフスキーが追うという、いささかマンネリ気味の結果が続いていた。ところが、2017年度に異変が起きた。この時の順位は(1)モーツァルト94回(2)ラベル61回(3)ブラームス59回(4)ベートーベン54回(5)チャイコフスキー41回。ラベルは没後80年の記念年だったためランクを一気に上げたようだ。

 18年度のランキングは(1)モーツァルト80回(2)ベートーベン65回(3)ストラビンスキー43回(4)ブラームス、R・シュトラウス39回。首位奪還はならなかった。19年度は未公表。首位奪還か、現状維持か、それとも下降か、結果がとても気になる。というのも「ベートーベン人気の下降=国民の闘う気力の低下」という関係が成立するように思えるからだ。

武満と中也の赤裸々な告白

 ベートーベン生誕250年にあたる今年、関連書籍もそれなりに刊行された。もう少し盛り上がってもいいのではとも思うが、これが日本の現実だ。3冊に目を通した。文芸批評家、新保祐司さんの『ベートーヴェン 一曲一生』(藤原書店)がたいへん興味深い。

 今年3月いっぱいで大学を退職した新保さんはコロナ禍の中で、ベートーベンの作品を「一日一曲」という形で、ほぼすべてを聴く計画を立て、4月1日から7月10日にかけて愚直に実行した。同書はベートーベンの音楽と対(たい)峙(じ)しながら、音楽そのものと日本の近代がはらむ問題について正面から斬り込んだものだ。

 冒頭にベートーベンと日本人を考えるうえで象徴的ともいえる2つの言葉が紹介される。1つは、作曲家の武満徹が評論家の吉田秀和と昭和49年に対談したときの発言だ。

 《日本における西洋音楽は、いままでは本当には西洋の影響(まあベートーヴェンの影響といってもいいけれど)、それはぜんぜん受けていなかったんじゃないかという気が、近頃してならないんですよ》

 「近代の超克」をテーマに17年に開催された座談会を持ち出すまでもなく、「日本の近代は西洋近代の上っ面を模倣しただけではないか、これを乗り越えるにはどうすればよいか」との問いは、いまなお大きな意味を持ち続けている。武満の発言はそのアナロジーととらえることができる。

 そしてもう1つ。詩人の中原中也が11年、フランスの批評家、シュアレスの「ドストエフスキー論」とチェーホフの「燈火」を読んだ後で日記に記した言葉だ。

 《多分、自分には……深さが……缺けてゐるか? ……恐激な希望が湧く一方暗(あん)澹(たん)たる気持……》

 近代の日本と日本人の弱さを鋭く刺し抜くような2人の天才の赤裸々な告白を正面から受け止めたうえで新保さんは、作品群に分け入ってゆく。心の羅針盤とするのは《真個の美は義の在る所に於てのみ栄える》《日本人は浅い民である。彼等は喜ぶに浅くある、怒るに浅くある》という、明治期のキリスト者、内村鑑三の言葉だ。

 旅の最終日、7月10日は「ディアベリのワルツによる33の変奏曲」である。新保さんはこう記す。

 《次から次へと「変容」されていく様は、何回聴いても飽きることがない。それぞれが常に新鮮である。このなじみの曲にならないこと、永遠に新鮮であること、これは、この音楽がいわゆる音楽を超えてしまったということである。……ディアベリ変奏曲には、主題のワルツをはじめ、旋律美などかけらもない。これこそ、「義」の音楽の最高峰といっていいであろう》 これまで誰も書けなかった異形のベートーベン論である。読み終えてフルトベングラー指揮・バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団の演奏で「第9」を真正面から愚直に聴き直してみたいという思いが込み上げてきた。もう少し闘ってみるか。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。(文化部 桑原聡)