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蒲田撮影所が大船に移転したのは昭和11年。周辺の工場の騒音で、トーキー(音声付き)映画の撮影に支障をきたすことなどが理由だった。
20年の東京大空襲で蒲田は焼け野原になったが、30年代には蒲田駅周辺に20館以上の映画館が立ち並び、都内有数の映画の街となった。しかし、テレビの普及などで衰退し、昨年まで商店街に残っていた2つの映画館も閉館した。
「蒲田から映画の灯を絶やさないために、ここに映画館もしくは映画を軸とした文化施設ができてほしい」。平成25年に始まった蒲田映画祭のプロデューサーで大田区観光協会の岡茂光さん(76)はそう語る。
撮影所跡地に近い複合施設「アスレチッタ蒲田」には、撮影所長・城戸四郎さんの字による「蒲田松竹撮影所跡」の碑がひっそりとたたずみ、ここが「日本の映画のふるさと」(映画監督の大林宣彦さん)だったことを今に伝えている。(本江希望)
=おわり