昭和49年のドラフトは上田阪急、西本近鉄それぞれの〝運命〟を大きく左右した。
注目は社会人野球の「速球王」山口(松下電器)を筆頭に、「高校四天王」といわれた土屋(銚子商)、永川(横浜)、工藤(土浦日大)、定岡(鹿児島実)の5投手。
11月19日、東京都千代田区の日生会館で第10回ドラフト会議が始まった。予備抽選のあと本抽選。10番目の近鉄・西本幸雄監督が「1番くじ」を引き当て「わしはくじ運が悪いと思とったんやが…」と照れ笑いをみせた。
山口は近鉄か…。ところが、近鉄が指名したのは、同じ松下電器でも山口の控え投手を務めていた福井。会場にどよめきが起こった。それは「福井?」という驚きではなく、「やはりな…」というタメ息ににた声だった。阪急が山口を指名。1位指名は次のように決まった。
(×は入団拒否)
①近 鉄 福井保夫 投 松下電器
②阪 急 山口高志 投 松下電器
③中 日 土屋正勝 投 銚子商高
④巨 人 定岡正二 投 鹿児島実高
⑤大 洋 根本隆 投 日本石油
⑥ロッテ 菊村徳用 投 兵庫育英高
⑦阪 神 ×古賀正明 投 丸善石油
⑧ヤクルト 永川英植 投 横浜高
⑨南 海 長谷川勉 投 日産自動車
⑩日本ハム 菅野光夫 内 三菱自川崎
⑪太平洋 ×田村忠義 投 日本鋼管福山
⑫広 島 堂園喜義 投 鹿児島商高
なぜ、近鉄は山口を指名しなかったのだろう。当時、パ・リーグを担当した西岡恒明先輩はこう説明した。
「指名したくてもできなかった。補強費が少なくてね。それは近鉄だけじゃない。当時のパ・リーグの球団はみなそうだった」
当時、1億円以上の補強費を用意できたのは巨人、阪神、中日。3年連続最下位の広島は2千万円といわれた。一方、パ・リーグは、ほとんどが赤字球団で親会社の支援がなければ経営はおぼつかない。低迷を続ける近鉄に、契約金5千万円~8千万円といわれた山口を指名できる余裕はなかった。よりによってそんなときに…。悲運の「1番くじ」といわれた。(敬称略)