昭和49年10月14日、日本中の野球ファンが泣いた。後楽園球場での対中日ダブルヘッダーで、17年間の現役生活にピリオドを打った長嶋茂雄の〝さよなら試合〟が行われたのである。スタンドには5万人の大観衆が詰めかけた。
第1試合、四回1死一塁で村上から左翼へ通算444号ホームラン。王も七回に49号を放ち、最後のアベックホーマーとなった。
試合が終わると長嶋は無人のグラウンドを一人で歩き始めた。ベンチを出て一塁側スタンドへ、そして右翼へさしかかったとき歩みを止めた。それまで抑えていた涙があふれ出た。
「フェンス沿いにグラウンドを一周したい」と長嶋が申し出たのは試合前のこと。この日のセレモニーは数日前から決まっており、グラウンド一周は予定になかった。「もし、刺激されたファンがグラウンドになだれ込んできたら収拾がつかなくなる。それに危険」という判断からだ。だが、長嶋は頭を下げ続けた。
「朝早くからこれほどの多くのファンが来てくれたんです。お願いです。みなさんと別れをさせてください」
熱い思いに球団は折れた。
何度も何度もタオルで涙をぬぐいながら、長嶋はゆっくりと歩いた。
「去年から芯でとらえた打球が野手の正面に飛ぶようになった。捕れるタマが捕れなくなり、打てるタマが打てなくなった。衰えた自分の肉体が、どうしようもなく寂しかった」
第2試合、川上哲治監督は先発メンバーにずらり〝V9戦士〟を並べた。
①センター柴田②レフト高田③ファースト王④サード長嶋⑤ライト末次⑥ショート黒江⑦セカンド土井⑧キャッチャー森-。なんとも粋な計らいである。そして長嶋の最後の打席が回る八回には、川上監督自らが一塁コーチスボックスに立った。
1死一塁、遊ゴロ併殺。長嶋は懸命に一塁へ駆け込んだ。あぁ、終わった…と天を仰ぎ、少し笑いながら走った「ミスター」の顔を忘れない。
『わたくしは、きょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です』
蛍の光のメロディーが流れた。
栄光の背番号「3」さようなら…。
(敬称略)