勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(121)

西本と上田 師弟対決1年目 阪急に軍配

初めての師弟対決。意識してお互いに顔も合わさない=藤井寺球場
初めての師弟対決。意識してお互いに顔も合わさない=藤井寺球場

■勇者の物語(120)

昭和49年シーズン、阪急-近鉄戦は「師弟対決」と呼ばれ、観客を呼べる好カードとなった。

西本幸雄と上田利治-。2人の師弟関係が始まったのは45年オフのこと。当時、打撃コーチを探していた西本は大毎時代の後輩で現役を引退したばかりの山内一弘(当時は広島)に声をかけた。だが、山内は巨人・川上監督からの打撃コーチ要請を受諾したばかりだった。

「ひと足遅かったか…」としょげる西本に山内がこう言った。

「ほら、以前、紹介した上田がいま、評論家になっています。彼ならいいコーチになると思いますよ」

数年前、山内から「広島におもしろい男がいますよ」といわれた西本は、こっそりと広島の練習を見に行った。そこには同年代の選手に臆することなく指導する上田コーチの姿があった。

「ほう、大したもんや。まだ若いのに同じような年代の選手をビシビシ鍛えとる。なかなか出来ることやない」と西本は感じいった。その上田が根本陸夫監督と指導方針が合わず、44年オフに広島を退団。評論家になっていた。西本はすぐさま招聘(しょうへい)に動いた。

上田にも西本に感動した出来事があった。阪急入団1年目の46年5月20日の南海戦でこと。前日からの雨で西宮球場には大きな水たまりがあちこちにできていた。「きょうも中止やな」と思いながら球場にやってきた上田が、ふとグラウンドをみると、一人の男がスコップで水をかき出していた。なんと、西本監督だった。上田は大慌てで手伝いに出た。次々に選手たちも…。水たまりは消えた。

「きょうはどうしても試合がやりたかった。だから無理をした。やるからには勝とう。いま勝つことが9月、10月にモノをいうんや」

その日の南海戦に7-3で勝利した阪急はこのあと、6月13日のロッテ戦まで15勝1敗2分けと快進撃。2年ぶり4度目の優勝へ突き進んだ。

「それまで私は西本さんは〝血の通わない野球〟をやる人と思っていた。それは間違っていた。ムード作りのうまさは鶴岡さん以上だ」

49年〝師弟対決〟1年目は15勝11敗で上田阪急に軍配があがった。(敬称略)

■勇者の物語(122)