文芸時評

12月号 性を描けば純文学なのか 早稲田大学教授・石原千秋

近代文学は家や家族の物語が多いから、研究者は明治31年に施行されたいわゆる明治民法のことをよく知っている。その明治民法の起草者の一人に穂積陳重(のぶしげ)がいる。だから、大学院生時代に岩波文庫から穂積の『法窓夜話』が出たときに購入したのはごく自然なことだった。100ほどの断章を集めたもので、その中に「女子の弁護士」がある。全文を挙げておく。

「昔ローマでは、女子が弁護士業を営むのを公許したことがあって、ホルテンシア、アマシアなどという錚々(そうそう)たる者もあったとか。しかるに、アフラニアという女子弁護人に、何か醜行があったために、忽(たちま)ち女性弁護士禁止の説を惹(ひ)き起し、遂(つい)にテオドシウス帝をして、その法典中に禁令を加えしむるに至った。この論法をもって推すならば、男子にも弁護士業を禁ずることにせねばなるまい。」(人名のアルファベットは省略)

旧聞に属するが、「女性はいくらでも嘘をつけますから」発言の杉田水脈議員に読んでおいてほしかった。その後、「嘘をつくのは性別に限らないこと」と訂正したようだが、いままさに過去の桜に関する嘘が暴かれている男性もいる。しかし問題は、フロイトの「冗談は本音である」という説を参照すれば、「失言は本音である」ことだ。杉田議員の発言はおそらく自民党の「本音」であって、杉田議員は組織の中で「本音」を言う役割を担っているのだろう。いつの時代にもそういう役割の人はいる。

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