書評

『藤原定家『明月記』の世界』村井康彦著 「自己中」貫き幸福な人生

 藤原定家の名を耳にして、人は何を連想するだろうか。『小倉百人一首』、『新古今和歌集』、国語の教科書に幾つも作品が載るような大歌人…。

 そんな「古典文学の巨星」が55年の長きにわたってつづった日記が『明月記』である。その読解に、古代・中世史研究の泰斗が挑んだ。

 「『明月記』は、徹底して私の視点で書かれた、いってみれば極私日記であった。この時代に、これほどじこちゅう(自己中心的)な記述も珍しい」と著者は述べる。定家そのひとの人となりについても、老年に至っても「なお自己中で人騒がせ」であったと評している。

 本書に見える定家は、たしかにマイペースで、ある意味「やりたい放題」だ。歌人として名が上がり始めた24歳の時に、宮中で他の貴族を殴り、出仕を差し止められる。後妻が生んだ為家を偏愛するあまり、先妻腹の長男・光家には理不尽なほど冷たい。子供たちが壮年に達し活躍する老境に至り、みずからの昇進を猛然とアピール、周囲を当惑させている。

 にもかかわらず、定家は不思議なほど人に愛される。後妻との仲はむつまじく、姉妹とのつながりも濃い。身内とのそうした密な関係を基盤に、公家社会と幕府の双方に人脈を形成し、経済面での安定と社会的栄達をわがものとした。

 こんな具合に生き得たのは、稀有の歌才があったからだけではないようだ。愛猫が亡くなった折には「悲しい思いは、人間に死なれたのと同じ」と記す。為家が「頭中将(とうのちゅうじょう)」に昇進して家にやってきたことを、喜びのあまり「頭中将、光臨」と書いてしまう。いったん好意を持つと、子供っぽいほど相手を愛し抜く面が定家にはあった。この純朴さが、彼のチャーム・ポイントになっていると私は感じる。

 『明月記』に関する評論としては、堀田善衛『定家明月記私抄』が著名である。詩人としての定家に焦点をあてる堀田に対し、著者は財産や人間関係について歴史家ならではの目を光らせ、定家の人物像を立体的に描く。「自己中」を貫きながら幸福になる方法を学ぶ。そうした読み方で接するなら、古典になじみのない読者も本書を堪能できるにちがいない。(岩波新書・880円+税)

 評・助川幸逸郎(岐阜女子大教授)

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