「京都は歌の原点の地」 歌人・永田和宏さん×京都女子大学学長・竹安栄子さん 河野裕子短歌賞記念対談

「京都は歌の原点の地」 歌人・永田和宏さん×京都女子大学学長・竹安栄子さん 河野裕子短歌賞記念対談
「京都は歌の原点の地」 歌人・永田和宏さん×京都女子大学学長・竹安栄子さん 河野裕子短歌賞記念対談
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 今年で没後10年を迎えた歌人、河野裕子さん(1946~2010年)を顕彰する「第9回~家族を歌う~河野裕子短歌賞」。その開催を記念して、河野さんの足跡を振り返り、令和の時代を歩む若者たちにエールを送ってもらおうと、夫で歌人の永田和宏さんと、今年創基100周年を迎えた京都女子大学の竹安栄子学長が、河野裕子さんが歌壇デビューを飾った同大在学中のエピソードなどを語り合った。

 竹安 まず先生と河野さんのなれそめからお聞かせください。最初はどこで出会われたのですか。

 永田 当時、僕は京都大学の1年生で京大短歌会に入り、京都女子大学と立命館大学の学生と短歌の同人誌が作られ、それに参加したのです。そのメンバーの初の顔合わせで京大の楽友会館に集まったときでした。

 竹安 第一印象はいかがでしたか。

 永田 河野の短歌のなかの、ある言葉の意味が、みんなわからなかったんですね。すると河野が先輩方がいる前で「なんでこんな言葉わからへんの」とあっけらかんと言ったのは驚きました。

 竹安 どんな言葉だったんですか。

 永田 「揺すらむとして不意にまがなし少年めきて君はあまりに細き頸してゐる」の「まがなし」(意味=いとしく思う)という言葉です。僕は大学から短歌を始めたばかりでしたが、河野は中学時代から歌をつくっていました。国語の園鈴子先生に短歌を褒められ、先生の母校である京都女子大学国文学科を目指すようになった。彼女自身、京女に入れたことをすごく誇りに思っていたんじゃないかな。

 竹安 ありがたいお話です。河野さんがおられたころの大学は京都女子大学もそうですが、自由な空気があふれていた時代でした。京都のような狭い市内に30以上の大学があるのは世界でも例がありません。学生同士、いろんなクラブ活動などで大学間を行き来できるのも京都の魅力でしょうか。

 永田 やはり一生のうちで4年間、京都に住めるのはすごい財産になりますね。

 竹安 京都女子大学は東山の懐に抱かれ、近くには京都国立博物館や三十三間堂もあります。この風土が醸し出す雰囲気がアカデミックな世界にマッチしていると思います。学生時代のエピソードはありますか。

 永田 河野がつくったある歌を僕が「すごくいい」と褒めたんですよ。「夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと」という歌で第1歌集に収められています。それで彼女は角川短歌賞に応募しようと決心したらしい。後期試験の真っ最中なのに締め切り当日までに50首つくったんです。

 竹安 先生は河野さんの短歌づくりをサポートされたんですか。

 永田 いや実は彼女が応募したことも全然知らなかったんですよ。角川短歌賞は歌壇の芥川賞といわれ、当時の最年少受賞でした。これが河野の人生を変え、馬場あき子さん以降の世代の歌人のトップランナーを走ることになりました。

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