キネマのふるさと

(3)輝ける時代へのオマージュ 「キネマの天地」

「キネマの天地」の記者会見に臨む(左から)中井貴一さん、有森也実さん、山田洋次監督=昭和61年6月
「キネマの天地」の記者会見に臨む(左から)中井貴一さん、有森也実さん、山田洋次監督=昭和61年6月

 「どや、蒲田の女優になる気ないか?」

 昭和61年に公開された山田洋次監督の映画「キネマの天地」序盤のワンシーンだ。主人公の小春は、売り子として働く映画館で、小倉監督に女優としてスカウトされる。小倉は続ける。

 「あんた芯が強そうやし、それに声がいいわ、これからはトーキーの時代やから、何て言うても声がようないと」

 サイレント(無声)からトーキー(音声付き)へ-。映画の過渡期だった昭和8年ごろの松竹キネマ蒲田撮影所を舞台にしたこの映画は、松竹大船撮影所50周年を記念して公開された。

× × ×

 映画では、蒲田撮影所の所長、城戸四郎(1894~1977年)がモデルとされる城田所長の下、監督やカメラマンなどのスタッフ、俳優らが映画に情熱をささげる姿が生き生きと描かれる。小春は有森也実さん、小春に思いを寄せる助監督は中井貴一さん、城田所長は松本幸四郎さんがそれぞれ演じ、山田監督の人気シリーズ「男はつらいよ」でおなじみの渥美清さんと倍賞千恵子さんが映画に花を添えた。

 渥美さんは旅芸人だった小春の父を、倍賞さんは父娘をやさしく気遣う長屋の奥さんを演じ、2人はラストシーンにも登場した。

 「実はね、『キネマの天地』のことはあまり覚えていないんですよ。『男はつらいよ』の間に撮影したと思うけれど。でも最後のシーンだけは覚えています。映画館で渥美さんと肩を並べて。当時子役だった吉岡秀隆さんもいましたね」

 倍賞さんはそう語る。

 松竹音楽舞踊学校を首席で卒業後、松竹歌劇団(SKD)に入団し、1年後の昭和36年に松竹映画にスカウトされた倍賞さん。映画女優として生まれ育った大船撮影所には、蒲田に続いて大船の所長も務めた城戸の姿があった。

 城戸は当時、松竹社長になっていたが、倍賞さんは「所長室にはいつも城戸社長がいた」と回想する。

 「もめ事があると、所長室に行っておさめてもらうんです。安心感がありましたね。何かあると相談できる監督もいましたし、家族のような雰囲気がありました」。撮影所で過ごした特別な時間を、かみしめるように振り返った。

× × ×

 実はこの映画の誕生の裏には、4年前に公開された大ヒット作「蒲田行進曲」の存在があった。松竹と角川春樹事務所が共同製作した同作は、蒲田の名を掲げるものの、監督は東映出身の深作欣二、撮影は東映京都撮影所で行われていた。

 松竹の映画監督、野村芳太郎は共著「キネマの天地」(新潮文庫)で、山田監督らから「蒲田は若きリーダー城戸四郎の指揮のもと、若き監督を中心に、松竹調と云われた身近な庶民の喜怒哀楽を描く伝統が定着して行った、云わば日本映画の青春時代をきずきあげた歴史がある。我々松竹の人間で、そう云う蒲田行進曲を映画にしようじゃないか」という声が叫ばれ続けたことが「キネマの天地」につながったと記し、「蒲田行進曲」へのライバル意識があったことを明かしている。(本江希望)

会員限定記事会員サービス詳細