【末續慎吾の哲学】内村航平選手が語った「アスリートの尊厳」 - 産経ニュース

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内村航平選手が語った「アスリートの尊厳」

鉄棒の演技を終え、ガッツポーズする内村航平=8日、国立代々木競技場
鉄棒の演技を終え、ガッツポーズする内村航平=8日、国立代々木競技場

 少し前の話題になるが、大事なことだと思うので改めて取り上げたい。体操男子の内村航平選手が今月、4カ国による国際大会で行ったスピーチだ。個人総合五輪2連覇の王者は、こう訴えた。「国民の皆さんには『東京五輪は開催できない』ではなく、『どうやったらできるか』、そう考えを変えてほしい」。耳を傾けるべき言葉だと思う。これはアスリートの尊厳について語っているからだ。

 世の中を見渡せば、いまだ新型コロナウイルスの感染拡大は収束の気配がない。飲食業の関係者も大変で、店内での営業だけでなく、持ち帰りや宅配にも対応し、何とか生き残ろうとしている。飲食業にプライドを懸け、人生をささげてきていたら、周囲から「店がつぶれちゃうだろうね」などといわれても簡単に諦めることなんてできない。

 決して同じではないにせよ、アスリートがアスリートとして「生きた」時間を考えてみてほしい。これまで必死に頑張ってきたこと、積み重ねてきたことを五輪で提示し、見てくれる人たちに還元する。その場が失われる危機。やはり当人たちは「五輪が難しい? はい、そうですか」とはいかない。

 無観客開催や大会の簡素化、どんな形でも道を探る。五輪を開催できないか「考えてほしい」と呼び掛けていけないはずがない。彼ら彼女らが立つ舞台は多くの人たちの協力が必要だから尚更だ。

 内村選手がリスクも困難さも承知したうえで放った言葉からは、アスリートも「生きている」んだ、との思いが伝わってくる。

 これまで内村選手の活躍に感動し、夢を見た日本人はたくさんいたはず。だからこそ彼は今、「寂しさ」を感じているかもしれない。開催が前提でなくたっていい。ただ皆に「開催に向けて考えてもらえている」と感じるだけでも選手は救われる。

 なぜスポーツ界、およびスポーツ界を見る感情はこんなことになってしまっているのだろう。それはスポーツ界自身が本来、大事にすべきものを、よく理解できていなかったからではないか。勝敗や金銭以外の部分、つまり「一般社会とのつながり」という部分だ。スポーツ界が本当の意味で、社会の一部として存在を示してこられなかったからだと僕は考えている。

(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

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