東京都が昭和20年の東京大空襲の被災者を追悼するために建設を予定していた「平和祈念館」が実現せず、収集した被災者の遺品などが宙に浮いている。検討段階の展示に関する考え方をめぐって「特定の歴史観に偏っている」などの批判が上がり、20年余り前に計画が中断。収集品は特別展などで展示される一方、普段は一般の目に触れることはない。戦後75年で被災者らの高齢化が進む中、計画の議論に携わった関係者からは客観的な形での常設展示を求める声が上がっている。(大森貴弘)
都庭園美術館(港区)の敷地に、5千点以上の資料が収蔵された倉庫がある。先の大戦中の新聞やポスター、子供の絵や通信簿、茶碗や衣服などの日用品…。東京大空襲で亡くなった人の遺品も含まれる。
これらの資料は、都が平成9~12年度、東京大空襲の犠牲者を追悼し、戦時中の東京の様子を伝える平和祈念館構想を掲げて都民から募集するなどした。現在は収集品が傷まないよう学芸員が管理し、区市町村の特別展などを対象に貸し出している。
都担当者は「寄贈してくれた人からは、何らかの形で常設的に見られるようにしてほしいと要望は頂いている」と話す。計画が中断した背景には、展示内容に対する都議会や被災者側の反発があった。
空襲容認史観に批判
平和祈念館建設に向けた動きは、検討会議が4年に設置されて始まった。施設名などが決まり、その後、大学教授や都教職員組合職員ら外部メンバーによる建設委員会が発足。展示内容の検討が始まったが、都が示したたたき台の案が物議を醸すことになる。
案では「アジアの人々に犠牲を強いた事件や中国への都市爆撃から東京大空襲に至る流れを紹介する」とし、テーマの一つに、東京には軍事中枢があり攻撃目標となったとする「軍事都市東京」を設定していた。