勇者の物語

運命の糸車 「村山の下では絶対うまくいかん」 虎番疾風録番外編112

昭和62年オフ、阪神の村山新監督と対談する上田監督
昭和62年オフ、阪神の村山新監督と対談する上田監督

■勇者の物語(111)

昭和48年10月29日、午後1時から大阪・北区の新阪急ホテルで、上田利治ヘッドコーチの新監督就任が発表された。

「大役を引き受けていけるか-という不安があった。しかし今は、そんな気持ちをさらりと捨て、前を向いて日本一を目指そうと思っている」

上田新監督36歳。〝闘将〟への第一声だった。会見場にいた大先輩、西田二郎記者は少し目頭が熱くなったという。実は西田と上田は関大野球部の同級生。阪神・村山実とも深い親交があった。西田は昭和44年のことを思い出していた。

44年オフ、阪神の村山が〝現役兼監督〟に就任。ヘッドコーチに広島を退団したばかりの上田を招聘(しょうへい)しようとしていた。「ワシが会って事情を話せば、わかってくれると思う。大学でバッテリーを組んだ仲や。熱意で説得してみせる」

村山は事前に西田へ相談していた。

「どう思う? と村山に聞かれた。ほんまは無理や、やめとけと言うつもりやった。けど、村山の必死な顔を見たら〝ええんちゃうか〟としか言えんかった」

数日後、上田から電話が入った。

「上田には、やめとけ-と言うた。大学時代も上田が主将やったし、村山の下では絶対にうまくいかん。村山には悪いことをしたが、上田のためやと…」

上田は村山の誘いを断った。表向きには、阪神が過去、多くのコーチを明確な理由もなくクビにしている-など、球団への不信感からの〝拒絶〟といわれた。

だが実際は、交渉の中で「2軍コーチなら受けてもいい」と譲歩していた。後年、上田は当時のことをこう語った。

「村山の気持ちはうれしかった。だが、選手の特徴も何も知らないボクが阪神に入団しても、1軍コーチとしての役割を果たせないと思った。だから2度目の交渉で〝2軍のコーチなら〟と言った。昼間は若い選手を鍛え、夜はネット裏からゲームを観戦し1軍の選手の特徴を知ることができる。2年目からだったら1軍に上がっても…と言ったんだが。村山は〝それでは困る〟という。ボクとしては辞退するより仕方なかった」

辞退した上田は45年、野球評論家となった。そして同年オフ、その上田に阪急の西本監督が声をかけた。

〝運命の糸車〟がカラカラと回り始めたのである。(敬称略)

■勇者の物語(113)

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