話の肖像画

東京五輪 女子バレー金メダリスト・井戸川絹子(81)(8)東洋の魔女、時にムードメーカーにも

猛練習で磨き上げた「回転レシーブ」は「東洋の魔女」の代名詞となった
猛練習で磨き上げた「回転レシーブ」は「東洋の魔女」の代名詞となった

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《「東洋の魔女」の代名詞となったのが「回転レシーブ」。大松博文監督(故人)が納得するまで終わらない猛特訓の末、習得した》

1960年に初めて出た世界選手権決勝で旧ソ連に負けてから、「打倒・旧ソ連」で回転レシーブを練習しました。大松先生がどうすれば勝てるかと考案したのが回転レシーブです。先生のお子さんが遊んでいた郷土玩具の「起き上がり小法師(こぼし)」から発想を得たという話も聞いたことがあります。9人制から6人制になって3人減る分、レシーブがもっと重要になると考えられたのでしょう。「飛び込んでボールを拾い、そのまま回って立ちなさい」と先生に言われて。「飛んだら取れるんや」と。「じゃあ先生やってみて」と言ったら、「いやいや俺はできん、お前たちがやれ」って。2、3メートル走ってからボールがくるから、そこに飛び込む。座布団を腰に巻いて練習しましたが、体中があざだらけになりました。私は怖がりで飛び込みができなかった。回転レシーブは松村(現姓・神田)好子さんが上手で「もっと低い姿勢で」と教えてもらいましたが、「私はできないからアタックを打ちますわ」と言ってました。あまりにもしんどい練習が続くから、体育館の外に出て「大松のばか野郎!」と叫んだこともあります。澄ました顔でコートに戻ると、先生はにやっと笑っていました。体育館の壁が薄いから、聞こえていたんですね。

《世界選手権を制した大日本紡績貝塚工場(日紡貝塚)の強さの背景の一つが守備力だった。どんなサーブもしぶとくレシーブし、トスを上げる。大松監督が得意とする「木の葉落としサーブ」をレシーブし続けたたまものだった》

木の葉落としサーブは大松先生しか打てません。ボールがネットを越え、普通ならアウトになるはずがストンと落ちてコートに入る。サーブを打つとき、当てた瞬間に引くため、ボールに回転がなくなり、急に落ちるのです。先生にしか打てません。私たちのサーブは入れるので精いっぱいで、ミスをしたら大変だからとにかくコートに入れましょうという程度。木の葉落としサーブでレシーブは鍛えられました。