第4戦を大橋、住友のホームランなど13-1で大勝した阪急は、2勝2敗で最終戦を迎えた。観衆は1万8000人。
試合は南海が山内、阪急は山田が先発。1点を争う投手戦となった。
◇最終戦 10月24日 西宮球場
南海 000 000 002=2
阪急 000 000 001=1
【勝】佐藤2勝 【敗】山田1勝1敗
【本】スミス①(山田)広瀬①(山田)当銀①(佐藤)
クライマックスは土壇場の九回にやってきた。この回、南海は簡単に2死を取られたが、島野の代打で1番に入っていたスミスが1-2後から右翼へホームラン。続く広瀬も初球を左翼へ叩き込んで大きな2点を挙げた。
これに対し阪急もその裏、2死走者なしで代打当銀が右翼へホームラン。南海ベンチはすかさず江本を投入。代打高井を空振り三振に切って取った。野村克也監督は両手を挙げながらマウンドの江本に飛びついた。まるで高校野球を思わせるような喜びようだ。
「監督になってよかった。あの時、断らなくてよかった」。監督として初めて宙を舞った野村は目を潤ませた。
昭和44年12月、川勝伝オーナーに呼びだされた野村は「ホークスの危機を救うのは君しかいない。監督を引き受けてくれ」と要請された。野村は固辞した。「まだ、現役でやりたい。第一、わたしは監督の器ではありません」。それでも諦めないオーナー。野村は根負けし「現役監督」を受けた。それから4年。
西本幸雄監督は野村を称えた。
「いい試合だった。悔いは残るが、それにしても野村は大した男や。これだけの重圧をはね返して栄光をつかんだんやから。まねのできるもんやない」
そんな西本の心を〝僚友〟川上哲治監督がこう代弁した。
「正直いって南海が勝つとは思っていなかった。1年間の成績を通して3位のチームに敗れた西本さんの胸中を推し量ってみると、気の毒という以外に言葉はない」
通算成績でみれば、阪急は77勝48敗5分けで1位(2位はロッテ)。優勝した南海は68勝58敗4分けの3位。これが2シーズン制の〝落とし穴〟だった。(敬称略)