話の肖像画

東京五輪 女子バレー金メダリスト・井戸川絹子(81)(6) 父親代わり「仏の大松」

インドネシアに行った頃は9人制で練習していました。でも旧ソ連や欧州では6人制が一般的。私たちは9人制でしかやったことがなかったので、ルールに対応するのが大変でした。アタックをしたら、審判が「ホールディング」っていう反則を取ります。ボールを手でつかんでいるという理由で。「ちょっと待って!」と文句を言ったら、抗議したということでまた1点取られて。厳しいんですよ。どうやって打てばいいのか悩みましたけど、手をグーにして打ったりして慣れていきましたね。海外は遊びに行くわけではなく、自分の技術を磨きに行くところ。海外遠征は世界で一番になるための特訓だったんです。

《「鬼の大松」と呼ばれ、熱血指導で知られた大松監督だが、父親のような存在でもあった》

私の中では「仏の大松」でした。コートを離れると、家庭を持たれた優しいお父さんです。日本にいるときの話ですけど、たまにチームのみんなで映画の広告を見せに行くんです。大阪・難波でこんな映画がやっています、と。すると、先生のポケットマネーで映画に連れて行ってもらえました。先生が映画館から自宅に帰るとその日は練習はなし。厳しい練習の中にも楽しみがありました。(聞き手 岡野祐己)

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