作家・三島由紀夫が憲法改正を訴え、「楯の会」学生長・森田必勝とともに自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自決して11月25日で50年となる。節目を迎えるにあたり、「楯の会」初代学生長であった故持丸博氏の妻・松浦芳子氏や長男・松浦威明(たけあき)氏が同会1期生らと座談会を開催した。
半世紀の時を経て、一部で誤った三島像、森田像が独り歩きしていることを危惧し、また自身も老いを意識せざるを得ない年齢となり、今話さなければ後世に事実が伝わらないと、事件以来長く口をつぐんできた関係者が口を開き始めている。
印象的だったのが、皇統に関するやりとりだ。威明氏が「三島由紀夫は『女系天皇』を容認していた」とする言論に触れて驚き、父に確認したところ、「先生とは天皇論について何度となく議論を重ねたが、そのような話は一切していない」と語ったという。複数の証言者の話を総合するに、そもそも三島が存命だった当時、男性皇族も多く皇統問題は顕在化していなかったことから、女系天皇について議論されることもなかったというのが真相のようだ。
折しも今月8日、長く延期になっていた立皇嗣の礼が挙行された。政府はかねて、立皇嗣の礼後速やかに「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家創設等」について検討を始めるとしている。
2600年余、126代にわたる皇統の歴史は、お一方(ひとかた)の例外もなく男系、つまり父方をたどると初代神武天皇に繋(つな)がる血統で紡がれてきた。この万世一系を守らなければ、日本が日本でなくなると言っても過言ではない。
悠仁親王殿下と同世代の男性皇族がいないからと、安易に女系天皇や、それに繋がる女性宮家を認めることは、国体の破壊を意味する。「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ること」に命を賭した三島が、女系天皇を容認するなどありえないだろう。
安定的皇位継承のため、戦後GHQ(連合国軍総司令部)によってやむなく臣籍降下するに至った旧宮家の男子孫の皇籍復帰を実現させるべく、国民世論を盛り上げようではないか。
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【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会幹事長。著書(共著)に『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)。