話の肖像画

東京五輪 女子バレー金メダリスト・井戸川絹子(81)(3)1年間ジャンプ練習のみ

四天王寺高校バレーボール部時代の井戸川絹子さん(前列右端)
四天王寺高校バレーボール部時代の井戸川絹子さん(前列右端)

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《バレーボールの強豪、四天王寺高校(大阪市)の練習は想像以上に厳しかった》

練習はしんどいってもんじゃなかったです。1年生の間はほとんどボールを触らせてもらえませんでした。小島先生(小島孝治監督、故人。後の女子日本代表監督)の指示は「バスケットゴールのネットをジャンプして触ってこい」。それだけです。垂直に1メートル以上跳ばないと届かないから、最初は触れるわけがない。「私はカエルか!」と文句を言いながら毎日跳んでいました。跳び方をあれこれ工夫して、ネットに触れるようになるまで1年かかりました。先生は私ならジャンプして届くようになると見込んでいたのかもしれませんけど…。先生に触れましたと報告したら「そうか。もう1回跳んどけ」って。さっきは触れたのに、おかしなもので先生が見ているときに跳ぶと触れない。1年生の間はコートにさえ入れませんでした。

朝練もあるのですが、6時台の始発で行っても間に合わなかったので、結局、3年間で1回も行けませんでした。通学に片道1時間ちょっとかかるので、着いてかばんを置いてコートに入っても練習に間に合わない。授業が終わると午後8時まで練習。バスと電車を乗り継いで帰宅は午後10時半。お風呂に入らず、ご飯も食べず、制服のまま寝たこともありました。バレーを辞めたいと思ったことは何度もありました。でも、私が辞めたら兄に迷惑がかかるし、バレー部を辞めるなら高校も辞めると決めていました。毎日ジャンプしていたおかげか、身長は1年間で10センチぐらい伸びました。入学したときは体がきゃしゃでしたが、家で牛乳は毎日飲んでいましたし、食事もしっかり食べていました。最初はお弁当も自分で作っていましたけど、途中からしんどくなって、お昼ご飯は学校の購買部で買っていました。試合に出られるようになったのは2年生からです。

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