話の肖像画

東京五輪 女子バレー金メダリスト・井戸川絹子(2) 人生の分岐点「四天王寺」

《卒業後は強豪の四天王寺高校(大阪市)へ。同校バレーボール部の小島孝治監督(のちの女子日本代表監督、故人)と兄の弘さんが知り合いだった縁で進学が決まった》

高校でバレーを続けるつもりはなく、公立高校に行くつもりでした。でも、兄から「四天王寺に行けや」と言われたんです。なぜかと聞けば、「バレー部の小島先生をよく知っているからバレーをきちんと教えてもらいなさい」ということで。それに反発すれば兄に怒られるし、怖かったから半強制的に四天王寺への進学が決まりました。兄が勧めなければ、高校でバレーは絶対にやっていなかったと思います。でも、四天王寺に行っていなければ大松博文先生(故人)にも出会っていなかったと思いますから、今思えば、高校に入ったことが人生の分岐点になりました。(聞き手 岡野祐己)

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