書評

『国難の商人 白石正一郎の明治維新』 行間からあふれる愛国

 明治維新では影で目立たず、しかし舞台裏で志士を物心両面から支えた人々がいた。

 高杉晋作を奇兵隊発足時から熱狂的に支援。家業が破産しても何ひとつ愚痴も言わず、高利貸に追われながら晩年は維新に散った志士たちの慰霊に専念し、新政府の顕官たちとは距離を置いた。

 その名は白石正一郎、長州の船問屋の主だった。国風の学問に目覚め、西●隆盛も大久保利通も伊藤博文も平野国臣も…残された日記から、およそ400人の歴史に名を残す人々が下関の白石邸に宿泊した。母親も国学の同士であり宿泊客の世話に協力、弟の蓮作は奇兵隊隊士として戦死した。

 維新を動かした原動力は思想的には水戸学である。水戸遊学から帰国して山鹿素行の尊王思想を加えた吉田松陰の松下村塾が維新回天の策源地となった。高杉も塾生だった。白石邸は表門と海側の門があり西●らは裏側から出入りした。志士のたまり場で、情報の拠点、そして激論の場。政治情報が集約した先端地が白石邸だったのだ。

 しかも宴会費用はすべて白石が負担した。家業が傾き借金の山が築かれるのも当然だった。

 問題は気迫である。大和精神、維新者の魂魄(こんぱく)が駆り立てるのだ。

 本書の著者はじつに足まめに現場を歩き、調べあげ、文献を渉猟している。そして、淡々とした文章に感動を託した。行間からあふれる愛国を感得する。

 「正一郎は明治新政府が樹立されるのを見届けると、志士の身分を捨て、名誉栄達を求めず、赤間宮の宮司として、幕末国士として奔走した志士たちの御霊を弔う道をえらんだ」

 もし正一郎に商業的な野心があり功利的だったら新政府顕官とのコネを生かして「政商」として中央進出も可能だった。

 最後まで白石は下関から腰をあげることはなかった。

 白石の一生を振り返り、その凜々(りり)しく清楚(せいそ)な姿勢と比較すれば、現在の日本の財界人のあまりの情けなさに憤慨する読者も多いのではないか。せめて松下幸之助、出光佐三、土光敏夫ら戦後の愛国者の爪のあかでも煎じて飲めばと言いたくなるような財界人が目立つ今の日本は寂寥な風景である。(宮本雅史著/産経新聞出版・1500円+税)

 評・宮崎正弘(評論家)

●=郷の艮が食へんの旧字体のひとがしらを取る

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