書評

『玉電松原物語』 魂揺さぶる故郷の記憶

 著者を初めて知ったのは『一九七二』である。この本は私に自信を与えてくれた。私が大学に入学し、上京したのが1972年であり、その年が時代を画する特別な年として論じられていたからだ。私は田舎者だったが、東京者の著者と同時代に生き、共通の体験をしていたと知り、誇らしかった。今、思うと著者はいわゆる3つの目を持っていたのではないか。虫の目でその年に起きたさまざまな事件を深く探り、鳥の目でそれらを歴史的に俯瞰(ふかん)し、魚の目で未来への流れを見ていたのだ。

 著者は1月、卒然として逝ってしまった。本書は遺作の一つとなるものだが、著者が暮らした玉電(現・東急世田谷線)松原駅周辺の変遷を描いている。実は、私もかつてこの近辺に住んでいたことがある。銀行員として大阪から初の転勤で東京勤務になった際、三軒茶屋の社宅に住んでいたのだ。そのため本書を非常に懐かしく読んだ。

 しかし大抵の読者にとって「玉電松原って何処?」ではないだろうか。そんな無縁な場所のことを読む意味はあるのかと思うだろう。ところが絶対に意味がある。本書は間違いなく読む人の魂を激しく揺さぶるだろう。それは著者が3つの目で玉電松原という狭く小さな場所を私たちの共通体験の世界に仕立て上げているからだ。

 読書中、なぜか「ネバーエンディング・ストーリー」という映画を思い出していた。少年がドラゴンに乗ってファンタージェンの崩壊を食い止めようとする物語だ。ファンタージェンとは、記憶の中の懐かしい故郷ではないだろうか。少年は、その崩壊を食い止めようとしていたのだろう。

 誰にでも故郷はある。しかし、今や友達と遊んだ広場は無くなり、立ち読みしていた本屋は消え、家族の祝いに贅沢(ぜいたく)をした洋食屋も廃業してしまった。時代に流され現実の故郷は何もかも変わってしまった。私たちの原風景である故郷は、もはや記憶の中にしか存在しない。そしてその記憶は刻々と崩壊し、誰もそれを阻止できない。著者は、玉電松原という故郷の記憶の崩壊に抗(あらが)う少年である。その抗いは切なく哀(かな)しく、そしてかくも美しい私たちの物語に結晶した。(坪内祐三著/新潮社・1700円+税)

 評・江上剛(作家)