書評

『命を危険にさらして 5人の女性戦場ジャーナリストの証言』 時代の証言者になるため

 世界の文明がいくら進歩しても、地球上から紛争がなくなることはない。そして、多くのジャーナリストが現場に赴く。その動機はさまざまだろうが、そこには間接的な情報に頼るマクロ的な取材からは見えてこないミクロの世界が必ずある。それを伝えようと奮闘したフランスのテレビ局の女性ジャーナリスト5人が体験をつづった。

 活躍の舞台は冷戦崩壊で幕を開けた1990年代に始まり、中央アジア、中東を中心に各地へと広がる。世界は混迷した紛争の時代に突入したことが改めて読み取れるようだ。「戦場ジャーナリスト」として臨まなければ、世界の行方は見えなかった時代だったといえるだろう。

 「戦場ジャーナリストの仕事は、出かけていくこと、証言をすること、そして戻ってくることである」とは彼女たちの上司の言葉だが、取材を終えて戻ってくることが紛争取材で最も大事であることは往々にして見過ごされがちのように思う。これがなければ時代の証言者にもなれないわけだが、騒然とした現場で抑制の利いた取材活動をいかに保つか。彼女たちは命がけの覚悟から知恵を生み出す。

 「情報を取ることは恐怖とアドレナリンが混じる挑戦に等しい」という現場。「置かれている状況を感覚としてとらえることができない場合は、それ以上無理をして取材しようとしない」という暗黙の了解に、自分を守ってくれる「恐怖を感じる本能」の鍛錬、他人を前にしたときにそれをレーダーのように働かせる習慣が役に立った。

 米中枢同時テロ以降、アフガニスタン空爆からイラク戦争にかけて現地を取材したことがある。アフガンの首都カブールでは敷地内の地雷を除去して再開にこぎつけた日本大使館を訪れ、イラクの首都バグダッドでは付近一帯を米軍が管理しつつも銃撃音や自爆テロの爆音の中での情報収集だった。知恵の重みがいまもなお感じられる。

 その一方で、彼女たちは紛争取材のむなしさに触れている。世界の動きにかかわることに幸福感を感じることは隠さない。だが、紛争を解決できるわけではなく、長い歴史を前に無力さを痛感することがある。紛争取材に報いるものとは何か、改めて考える契機となるだろう。(マリーヌ・ジャックマン、アンヌ・バリエール他著、遠藤ゆかり訳/創元社・1800円+税)

 評・蔭山実(文化部)