西本幸雄監督の「留任」が発表され、阪急は6度目の〝打倒巨人〟に臨むことになった。同じころ、パ・リーグで「重大事項」が決議されていた。
11月2日、東京・大手町のパレスホテルで開かれたパ・リーグのオーナー懇談会の席で、太平洋クラブの新オーナーに就任した中村長芳がパの窮状打開策として、前期、後期の「2シーズン制」を提案した。
「2シーズン制」は毎年のようにオーナー懇では話題にあがっていた。この年(昭和47年)の4月にも南海の川勝伝オーナーが「どうだろうか?」と議題に挙げ、①セ・リーグが反対する②試合数が減って収入も減る③オールスターや日本シリーズをどうするか-などの壁にぶつかり立ち消えになっていた。
だが、今回はリーグ崩壊寸前から立ち直った各オーナーが全員一致で賛成。2シーズン制なら「首位チームの独走で盛り上がりを欠くのを防ぐことができる」「ヤマ場が2つできて、観客動員を増やすことになる」。そして、セが反対してもパだけで実行に移す-という強い意志で決議したのだ。
同日、午後6時から引き続き行われたセのオーナー懇でも「2シーズン制」が協議された。セはあくまで「1シーズン制」を堅持。巨人の正力亨オーナーはこう語った。
「パがすることに反対はしない。だが、開幕や閉幕など日程の足並みはそろえてもらう。日本シリーズなどで、セのチームがパの日程が終わるのをじっと待ってはいられないからね」
まるで、勝手にやれ! といわんばかり。こうして11月9日、プロ野球12球団の実行委員会で、パ・リーグの「2シーズン制」導入が了承された。
西本監督も歓迎した。
「優勝のチャンスが各チームにできたといえる。采配の中でも投手のローテーションが大きく変わるだろう。前半の中頃で脱落したチームが、前期を捨て後期に備えることになると面白くなる」
48年シーズンは前後期それぞれ65試合を戦い、各優勝チームによる「プレーオフ(5試合制)」を行うことでスタートした。短期決戦に弱い西本阪急はまだ、その〝落とし穴〟に気付いていなかったのである。(敬称略)