朝晴れエッセー

農上げの日の粉米の味・11月5日

私の生まれ育った愛知県東部の農村では秋の終わりを告げる収穫祭を農上げと称していた。

その年の稲の実りに感謝、次年の豊作を祈る行事だった。私の生家では床の間の田の神に稲穂と鎌を供えた。

私の幼少期の農作業はすべて手作業だった。梅雨に濡れながらの田植え、炎天下の腰を曲げての除草、1株ずつ鎌で刈り取る稲刈りだけではなかった。その後にも乾燥のための稲架(はざ)掛け、足踏み式の脱穀などの重労働が続いたのだ。

しかし、籾摺(もみすり)をした玄米の大半は供出に回された。食糧不足の戦中と戦後には主食の米は政府が管理していたのだ。自家用に残される米はわずかだった。その貴重な白米は正月、盆、祭礼などの日にしか口にすることができなかった。

日常は麦飯やかて飯が常食だったのだ。しかし、農上げの日だけは白米を食べることができた。もちろん、それは粉米(こごめ)だった。精米時に発生する不良米のことだが、新米の味は格別だった。

しかし、私は農家の長男だったが、農業を継がなかった。田畑を捨てた。文学研究という畑違いの道を選択した。他県の大学の教壇に立ったのを機会に故郷も捨てた。そして粉米との縁も切れた。

今の私は教育現場を離れた身だ。乏しい年金生活だが、日々の糧(かて)に事欠くようなことはない。スーパーマーケットで各地のブランド米を買い求めることもできる。しかし、時に私は農上げの日の粉米の味を思い出す。

安藤勝志 78 静岡市葵区