話の肖像画

パティシエ・鎧塚俊彦(9)「モノトーンの店」国内初出店

カウンター越しにデザートを出す。ワインやシャンパンと合わせて楽しむ客も多い
カウンター越しにデザートを出す。ワインやシャンパンと合わせて楽しむ客も多い

(8)へ戻る

《平成14年に帰国。最初はサウナを渡り歩く、その日暮らしだったという》

僕、サウナが大好きだったんです。着の身着のまま、ほぼ一文なし状態での帰国でしたが、欧州修業前からずっとお世話になっていた人気パン店「ビゴ東京」のオーナーシェフ、藤森二郎さんが、携帯電話や部屋、ブランドの立ち上げまで、さまざまな場面で手を差し伸べてくださいました。

藤森さんはパン、僕はお菓子、とジャンルが違うこともありましたが、師弟関係が常の職人の世界にあって、藤森さんは「トシは何かの色に染まらないほうがいいね」とおっしゃって、僕を自由にさせてくださいました。感性のまま自由にやるほうが伸びる、と思ってくださったんだと思います。

帰国を決めたとき、藤森さんが僕を応援するつもりで、「50年に1人、いや100年に1人の逸材が日本に帰ってくる」といろんな方々に宣伝してくださっていました。そのおかげもあり、帰国してすぐ講習会やアドバイザー、有名百貨店で行われているスイーツ催事への出店など、忙しく働かせてもらいました。

《帰国後初の年末年始、デパートなどで「ガレット・デ・ロワ」(王様のお菓子)と呼ばれるパイ菓子を神出鬼没で販売。たちまちスイーツ通の間で評判を呼んだ。ファン待望の最初の店は16年、東京・恵比寿に誕生した》

僕のデザートを目当てに、わざわざ食べに来てくださるお客さんを大事にしたかったので、駅から徒歩10分という立地にしました。

店の外観や持ち帰り用の袋は白と黒を基調にしました。色付くのは主役のスイーツのほうで、箱(店舗)はシンプルにいきたいと思っていました。当初は「何の店か分からない」「ケーキ屋なのに喪の色なんてだめだ」と言われたし、たまに美容院と間違われることがありました。それでも僕の趣味に合わせ、やりたいようにやりました。ブランド名「Toshi Yoroizuka(トシ・ヨロイヅカ)」も、すんなりと決めました。「名前なんて何でもいいんだよ。どんなにかっこいい名前をつけても、店がそうじゃなければかっこ悪いんだから」。これは藤森さんの言葉ですが、なるほどと思いました。

《何より異例だったのがカウンター形式の客席。2カ月後には連日1、2時間待ちの行列ができた》

僕はおいしいものを出す自信はあったけれど、それはびっくりするような、目新しいお菓子ではない。だったら一番おいしい出来たてで出すしかないと、決めた方法がカウンター形式でした。目新しいことをしようとしたわけではないんです。カウンター形式だと、ほかのスイーツ店よりもお客さまとの距離が近く、お話しながら表情とタイミングを見て、出来たてをお出しすることができます。

《その後、19年には東京ミッドタウン、28年に京橋エドグラン、と都心にも店を構えた。持ち帰り専門店を含めて都内に4店、神奈川に1店。飛行機や新幹線に乗り、全国からわざわざやってくるファンも多い》

僕は当たり前のことを当たり前にやり続けているだけです。でもそれがお客さんに喜んでいただけているのなら、こんなにうれしいことはありません。東京以外でもっと展開はしないのか、と聞かれても、僕は一人しかいませんから。店が増えすぎると僕が見られなくなってしまいますからね。(聞き手 津川綾子)

(10)へ進む

会員限定記事会員サービス詳細