17年連続日本庭園1位の美術館は借景の山も買う徹底ぶり(2/2ページ) - 産経ニュース

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17年連続日本庭園1位の美術館は借景の山も買う徹底ぶり

 安来市出身の全康氏は戦後、大阪で繊維業や不動産業で成功を収めた。美術品を収集し、「故郷に恩返しをしたい」と71歳のときに同館を開館した。91歳で亡くなるまで庭づくりや美術品の収集に情熱を注いだ。

 美術館敷地の池庭近くには生家が残る。全康氏は美術館を開館後、周囲が反対する中、床の間の壁を自らトンカチで切り抜き、外の庭園が見える「生の掛軸(かけじく)」にした。これが館内の窓を額縁にした人気の鑑賞ポイント「生の額絵」にもつながっている。

 日本庭園の基本形が完成するまでに15年の歳月をかけた。社員旅行の際、全康氏が電車の窓から見た赤松を大変気に入り、旅行が「赤松探し」に変更されたというエピソードも残る。

 赤松は現在約800本が植えられ、景観上重要な役割を果たしている。同美術館の武田航広報部長は「赤松を植えて手前と奥で濃さを変えて剪定(せんてい)することで、山と庭園が自然につながっているように見える」と説明する。

「来訪者が1人でも開館」

 「一人でも訪れる人がいるのであれば開館させる」という全康氏の信念を引き継ぎ、同館は50年間、一度も休業をしたことがない。

 この間、台風や地震などにも見舞われたが幸い致命的な被害はなく、一日も閉館することなく「無休」を貫いてきた。最大の危機は新型コロナウイルスの感染拡大だったが、徹底した安全対策を継続して実施することで何とか開館を続けることができたという。

 半世紀で培った庭づくりのノウハウは引き継がれ、台風などで葉や枝が散ることがあっても開館時には一枚の葉も落ちていない完璧な庭園へと仕上げている。

 武田部長は「50周年を迎えてもやることは同じ。来館していただいたお客さまに感動してもらえるよう、これからも徹底した維持管理を続けたい」と話している。