一転、「日本シリーズ」どころの話ではなくなった。昭和47年10月21日の開幕戦を前に球界を揺るがす大事件が起こったのだ。
10月17日、サンケイスポーツの1面に『西鉄ついに〝身売り〟』『ペプシが肩がわり』-の大見出しが躍った。
昭和44年に起こった「黒い霧」騒動の影響で、西鉄は戦力だけでなくイメージまでダウン。観客は激減し球団経営は苦しくなっていた。その西鉄が「ペプシコーラ」に話を持ち掛けていることが分かった。ペプシの関係者によると、西鉄から話があったのは10月初旬で「まだ検討中。結論は出ていない」という。
西鉄の身売り話が動き始めたのは、4月に行われた12球団オーナー会議がきっかけだった。雑談の中で西鉄の木本元敬オーナーがポロリと本音を漏らした。
「累積赤字で球団を経営するのが困難になった。組合から『なぜ、莫大(ばくだい)な赤字を出す球団を持っているのか』と突き上げられてね」
ライオンズの累積赤字は10億円。47年も1億5千万円の赤字を出し「これ以上は…」が本音だった。
西鉄が解散となればパ・リーグの運営も苦しくなる。するとヤクルトの松園尚巳オーナーが「西鉄が解散するなら、1リーグ制にしてはどうか」と発言した。パ・リーグは敏感に反応した。さっそく7月のパ・オーナー懇談会で協議。「もし、実現できるなら…」と、ロッテの中村長芳オーナーに調整役を依頼した。
中村は「ロッテ-大洋」「ヤクルト-東映」「南海-近鉄」が合併。西鉄は解散。これに巨人、阪神、中日、広島そして阪急を加えた8球団による1リーグ制-で話を進めた。だが、セ・リーグ側が反対。構想は暗礁に乗り上げた。
このままではパ・リーグが潰れる。中村は西鉄のスポンサー探しに乗り出した。中村には実績があった。46年に東京とロッテ製菓を結び付けており、そのとき「ペプシ」にも声をかけていた。
だが、事態はさらに悪化する。東映フライヤーズの大株主、東急グループの総帥・五島昇社長が10月19日夜、東京都世田谷区の自宅でこう語った。
「いいところがあればフライヤーズの全株を売ってもいい。業務提携をやろうという企業があれば応じたい」
西鉄に続いて東映も…。まさに、パ・リーグの危機であった。(敬称略)