文芸時評

11月号 幼かった僕の日常 早稲田大学教授・石原千秋

僕には父の記憶がほとんどない。だからこれは昨年亡くなった母から聞かされた話である。

予科練出身で海軍の戦闘機のパイロットだった父は、戦後公職追放となって苦労した後、自衛隊のパイロットになった。ほどなくジェット機の操縦を身につけるためにアメリカに1年間留学した。1956(昭和31)年のことである。大戦中に戦闘機乗りだった日本人である。アメリカ軍ではずいぶん差別を受けたらしい。彼らを黙らせる手段はただ一つ。8月16日に出撃命令が出ていた特攻隊員だったと告げることだけだったという。これは話ができすぎていて眉唾だが、それを聞いたアメリカ兵は口を閉じたという。

父がアメリカで苦労したのは黒人差別だった。バスに乗っても座席が違う。それは異様な光景だった。東洋人はどちらに座っても嫌な顔をされる。当時のアメリカには東洋人の居場所はなかった。帰国した父はジェット練習機の教官となって宮崎の基地に勤務し、次に岐阜の基地に勤務して、そこで飛行機事故で亡くなった。岐阜では基地の中の官舎に住んだ。アメリカ兵用に造られた大きな洋館だった。基地には米兵が住むエリアもあった。基地のゲートまでは4キロあった。1日に数便しか来ないバスを待っていると、大きな車に乗ったアメリカ兵が町まで乗せてくれたこともあった。基地には黒人兵も住んでいたし、小学校に入学したら、クラスには母親が日本人の肌の黒い女の子もいた。それがまだ幼かった僕のふつうの日常だった。東京で育った知人も小学校に肌の黒いクラスメートがいたが、同じようにふつうに日常を過ごしたという。幼い2人にはまだ差別という感情がなかった。2人の結論はこうだ。差別は学習するものだと。それならば、差別のない世界も学習できるはずだ。いまアメリカで起きている理不尽な出来事をテレビで見て思う。あれは僕たち家族をゲートまで車に乗せてくれた人たちではないかと。

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