聖徳太子「斑鳩宮」の壁土80年ぶり確認 蘇我氏襲撃の火災痕?

斑鳩宮焼失の可能性を示す壁土=奈良県斑鳩町の斑鳩文化財センター
斑鳩宮焼失の可能性を示す壁土=奈良県斑鳩町の斑鳩文化財センター

 飛鳥時代、聖徳太子が造営した斑鳩宮の一部とみられる壁土が、法隆寺(奈良県斑鳩町)に保管されていたことが斑鳩町教委の調査で分かった。壁土は戦前の調査で出土したが、所在不明となっていたため実物は約80年ぶりの確認。壁土には焼けた痕跡があり、太子没後に蘇我入鹿の襲撃で斑鳩宮が焼失したことを裏付ける可能性がある貴重な資料となりそうだ。

 日本書紀によると、斑鳩宮は聖徳太子が造り、居住。死後に子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)と対立した蘇我入鹿が焼いたと伝えられる。

 奈良時代には僧、行信が跡地に夢殿を建立し、現在これを中心に法隆寺東院伽藍(がらん)が広がっている。町教委の説明では、昭和14年に東院伽藍・伝法堂の解体修理に伴う発掘調査が行われ、焼けた壁土の出土が報告されていたが、所在が分からないままだったという。

 来年は聖徳太子没後1400年の法要が法隆寺で予定されていることなどから、斑鳩町教委が調査。その結果、法隆寺の倉庫から「伝法堂出土壁土」と記された木箱が見つかり、壁土約30片が収められていた。残存状況の良好な壁土で厚さは約10センチあり、壁面の多くには火災の痕跡らしい赤褐色や黄橙色の変色を確認。火災の記録がない伝法堂の地下から出土したことから、町教委は斑鳩宮の焼失を示す資料とみている。

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