56年前、1964年の10月20日は、10日に始まった東京五輪が終盤の佳境を迎えていた。この日のハイライトは東京体育館で行われた体操競技だったろう。
《妙技と秘技、そのすさまじい応酬だった。人間の運動能力の極限にせまる日ソ両国選手の気迫は、七千の観衆を完全に魅了した。観衆は息をころし、つぎの瞬間、握りしめていた手のひらを開いて拍手した》(産経新聞、昭和39年10月21日朝刊)
体操王国ニッポンは男子団体総合で連覇し、男子個人総合では遠藤幸雄が日本選手初の世界王者となった。女子団体総合も銅メダルで日の丸を掲げ、女子個人総合の金メダリストは「東京の恋人」、チェコスロバキアのベラ・チャスラフスカの胸に輝いた。
遠藤とベラ。2人はその2年前、プラハの世界選手権個人総合でともにソ連選手に敗れて僅差の2位に泣いた。2人は東京での雪辱を誓い、ひそかに文通を続けた。競技の極意を尋ねるベラに遠藤は惜しげもなくコツを伝え、信頼を深めていった。そしてともに、約束の金メダルを首にかけた。生前の遠藤に、そこに恋愛感情は全くなかったのか聞いたことがある。
「いや、ないですよ。あったのはライバル意識だけ。とにかく懐かしい」と苦笑いするばかりだった。
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68年のメキシコ五輪で遠藤は選手団の旗手を務めた。ベラは女子個人総合で連覇を果たすが、すでに悲運の道を歩み始めていた。
ベラは民主化運動「プラハの春」を支持する「二千語宣言」に署名し、メキシコ五輪ではワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻への抗議の意を示すため、濃紺無地のレオタードで演技した。