勇者の物語

新3番誕生 西本さんにつかまったら最後 虎番疾風録番外編84

昭和46年シーズン、加藤は「3番」に抜擢された
昭和46年シーズン、加藤は「3番」に抜擢された

■勇者の物語(83)

加藤秀司にも〝春〟がやってきた。入団3年目の昭和46年シーズンの「新3番打者」を命じられたのである。

1軍に昇格したのは、45年の秋季練習がきっかけだった。ある日、西本幸雄監督が加藤に「オレが手伝ったるから、バット振れや」と声をかけた。マンツーマンのティー打撃が始まった。

「西本さんにつかまったら最後、終わってくれへん。毎日、2時間ぶっ通しでトスを上げる。オレも意地になってついていったよ」

手の皮がむけバットが血まみれになった。それでも振り続けた。翌年の高知キャンプで加藤は1軍に組み入れられた。

「ショックやったわ。3年でクビになると思ってたし、3年目も2軍でチンタラやるつもりにしてたから」

松下電器からプロの世界に入った加藤の生活は一変した。月給も3万円から15万円に跳ね上がり「どうやってお金を使おうか悩んだ」という。「5千円もあったら新地で遊べた時代やからね。それに2軍は気楽で楽しかった」。実は加藤が1軍に昇格したのは、西本監督に見込まれたからだけではない。

練習や試合は真面目にこなすものの、試合が終わると若い連中を誘って遊び回る。選手寮の門限など守ったことがない。ついに、2軍監督から「加藤を1軍で引き取って」と要請が出ていたのだ。

キャンプ終盤、西本監督は「今季は加藤を3番で使う」と宣言した。加藤は冗談だと思った。ところがオープン戦でほんとうに「3番・一塁」で起用された。「ええんかいなオレで…」。4試合で12打数1安打。すると周囲から「加藤に3番はまだ無理」と批判の声。

「オレが一番、無理やと分かってるのに、なんでボロクソに言われなあかんねんと腹が立ってきた。そやから…」

3月10日、西京極球場での広島戦の試合前、加藤は「外してください!」と西本監督に直訴した。

「あかん、代えん-それだけや。顔も見てくれへん。もう、どうなっても知らんで!という気持ちになった」

加藤はやけくそだった。すると一回、無死1、3塁で広島・外木場から放った一打は左翼へ飛び込んだ。そして八回には右翼へこの日、2本目のホームラン。

「〝よう打った、よう打った〟と監督が抱きついてきた。自分で言うた手前もあったし、意地を張ってたんやろね」

新3番打者誕生-。加藤は西本監督に感謝した。(敬称略)

■勇者の物語(85)

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