加藤秀司は福本豊のことを「フクさん」と呼ぶ。プロ入りは同期だが、福本は昭和22年11月生まれ。23年5月生まれの加藤より1歳年上。同じ松下電器出身、入団当初はどこへ行くにも一緒だったという。
44年1月初めて西宮球場での自主トレに参加したときだった。ランニングやキャッチボール、ウオームアップとその日の練習メニューを終えた2人は顔を見合わせた。
「フクさん、プロの練習は軽いですね。松下の方がきついですよ」
「ほんまやな」
「けど、みんなどこへ行くんやろ」
2人は先輩たちの後について球場を出た。行き着いたところはサブグラウンド横にある室内練習場だった。扉を開けたとたんに熱気が襲った。
幾つもの打撃ケージの中で先輩たちがガンガン打ち込んでいる。ネットに向かってティー打撃をする者、バーベルで筋力を鍛えている者…初めて見る『西本道場』だった。立ち尽くす2人が西本幸雄監督の目にとまった。
「おい、そこの。1年生か」
「はいっ!」
「なんや、運動靴やないか? アホ! そんなもんで野球でけへんぞ。スパイクに履き替えてこい!」
2人は大慌てで練習場を飛び出した。
「それからや。ほんまに死ぬほど練習させられたよ。冗談やなく、練習してて気を失いそうになるんやから。こんな練習についていったら、絶対に潰れると思った。だから…」
ある日、加藤は福本に宣言した。
「フクさん、先に行って。オレはゆっくり行くから」
当時、加藤は自分がプロで通用するとは思っていなかった。東映(41年4位)や南海(42年10位)の指名を拒否したのもそのため。そんな加藤の心がプロ入りに傾いたのは、ドラフト前に松下電器の先輩からいわれた一言。
「お前、プロへ行く気がないんやったら、ことしで野球をやめて会社の仕事に専念しろ。そやないと、他の連中から遅れるぞ」。加藤はもう少し野球を続けたかった。
「プロで一旗あげよう…なんてとんでもない。3年やったら辞めようと思ってた。だから入団交渉のとき『記念にええ番号ください』と言うて背番号10をもらったんよ」。加藤は福本の背中を見送った。(敬称略)