横浜障害児殺害事件から50年 無自覚な差別許すな、訴え続け 脳性まひ当事者団体「青い芝の会」

 横浜市で50年前に起きた母親による障害児殺害事件では、介護に疲れた末の犯行として、刑の減軽を求める運動が起きた。こうした同情の声に異を唱えたのが、脳性まひ当事者の団体「青い芝の会」。世の中の「善意」に隠れた無自覚な差別を、痛烈に批判し続けた。青い芝の会は昭和32年、東京都で結成。当時は就学就労の機会がなく、自宅以外に居場所のない人がほとんどで親睦を主な目的とした。次々と支部が設立され、その一つが横田弘さん(平成25年死去)らが率いる県連合会だった。

 昭和45年に母親が脳性まひの娘を殺害した事件で、横田さんたちは「殺される側」の立場から世間に反発。介護の末にわが子を手に掛けた母親をふびんに思い、障害があるまま生き続けるより殺された方が幸せという考えを会の行動綱領で「愛と正義の持つエゴイズム」と表現し、否定。街頭でマイクを手に「私たちを殺すな」と訴えた。

 ◆意見交換で交流

 当時の県心身障害児父母の会連盟は、福祉が行き届かない社会では、「障害児を殺すのはやむを得ない」と訴え、青い芝の会から猛抗議を受けた。連盟の事務局にいた県立保健福祉大名誉教授の谷口政隆さん(85)は、横田さんの姿勢に強烈な印象を受けた。

 抗議の内容に、なるほどと思うことがあった。次第に障害者の自立生活の在り方について意見を交わすようになり、交流が生まれた。

 視察先で「健常者は車いすを押すべきだ。押して初めて障害者の気持ちが分かる。だから俺は電動(車いす)には乗らない」と言われ、驚いた。「付き合う中で、自分の常識が非常識と学んだ」と振り返る。

 「青い芝の会が闘ったのは世間の常識だった」と話すのは、晩年の横田さんと対話を重ねた二松学舎大准教授の荒井裕樹さん(40)。「障害者は当たり前に生きてはいけないのか」と語る横田さんの鋭い眼光を忘れない。

 ◆在りし日の姿思い

 青い芝の会はその後、車いすのまま乗車させるよう迫ってバスを占拠するなど、「過激」な行動に出た。妥協を許さない姿勢は非難も呼んだ。荒井さんは「安易に結論を求めず、なぜ差別はいけないのかを一人一人に考えさせる。それが彼らの運動だ」と指摘する。

 平成28年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件。植松聖(さとし)死刑囚は「重度障害者は不幸のもと」と断じた。「青い芝の会が闘った『愛と正義』には善意の装いがあったが、植松死刑囚の主張にはそれすらない」と荒井さん。そんな主張への賛同が、インターネット上で起きたことに恐怖を覚えた。

 相模原市の事件後、横田さんの70年代の著作を手に取る人が増えた。「生きていたらショックを受けたんじゃないかな。『君たち、50年前の本を参考にしていていいの?』って」。在りし日の姿を思い、はがゆさをにじませた。

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【用語解説】昭和45年の横浜障害児殺害事件

 昭和45年5月29日未明、横浜市の自宅で当時30歳の母親が、エプロンのひもで脳性まひのあった2歳の長女の首を絞めて殺害した。障害者施設に預けることもできず、父親は単身赴任。介護に疲れた末の犯行として、刑の減軽を求める運動が起きた。当時の刑法で、殺人罪は3年以上の懲役を科せられたが、検察は懲役2年を求刑。横浜地裁は情状酌量を認め、懲役2年、執行猶予3年を言い渡した。

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