輸送機の機上整備員として飛行前の点検、飛行速度の算出、飛行中の計器確認などに当たる。総飛行時間約7千時間のベテランながら、「今後も一歩一歩、確実に仕事したい」と表情を引き締める。
小さいころから飛行機に関心があり、鹿児島県の中学卒業後、平成6年に入隊。地上での航空機整備員を経て、13年に入間基地に配属され、以降は一貫して機上整備に携わる。
23年の東日本大震災をはじめ、災害派遣にも従事してきた。「『僕の飛行機は落とさない』と思っている」。訓練生時代に任地で5人が殉職した輸送機墜落事故が起きた際、海から引き揚げられた機体を前に幹部が口にした「こうならないためにお前たちがいる」という言葉を胸に刻んでいる。
練達の機上整備員とは別の顔も持つ。所属部隊60周年を祝う輸送機の記念塗装でデザインを手がけ、迷彩模様の機体を白と赤の歌舞伎の隈(くま)取(どり)風に染めた。「日本の伝統をつなぎたいと思った」との思いからだったが、機体は人気を博し、プラモデル化もされた。
「自衛隊には古臭いイメージもある。斬新なことをすれば、記憶に残ると考えた」
中1の長男、小4の長女を育てる。長男は航空自衛官を志しているといい、「『エンジンの音で機種が分かる』と言うんですよ。そんなこと教えてないのになぁ」。父の笑顔がはじけた。(内田優作)