ナチス迫害逃れ 故根井三郎、命つないだビザ ユダヤ難民の孫ら「宝物」 宮崎

ナチス迫害逃れ 故根井三郎、命つないだビザ ユダヤ難民の孫ら「宝物」 宮崎
ナチス迫害逃れ 故根井三郎、命つないだビザ ユダヤ難民の孫ら「宝物」 宮崎
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 命のビザ(査証)がなければ私たちはいなかった-。第二次世界大戦中、旧ソ連ウラジオストク日本総領事代理だった宮崎県出身の外交官、故根井三郎(1902~92年)発給のビザが6月に報道公開されたことを受け、ナチス・ドイツの迫害から逃れて渡米したユダヤ人の家族が、ビデオ会議システムを通じた共同通信の取材に「根井のビザは家族の宝物」と語った。

 ユダヤ難民の著書があるライター、北出明さん(76)によると、ビザを受給したのはポーランド系ユダヤ人の故シモン・コレンタイエルさん。逃避行には妻の故エマさんと、長女のフィリス・ディマントさん(83)が同行した。

 3人は1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻に伴い、隣国リトアニアに脱出。41年、モスクワの米国大使館で移民ビザの申請を却下され、シベリア鉄道でウラジオストクへ。そこで根井が単独で発給したビザを取得した。

 ビザには根井の署名があり「昭和16年(41年)2月28日 通過査証」「敦賀横浜経由『アメリカ』行」と記載。3人は福井県敦賀行きの船で日本に渡り、上海の日本租界で終戦を迎えた。47年に渡米し、その後ディマントさんは同様にホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を逃れた夫と結婚。今は静かに余生を送る。

 ディマントさんの長女、デボラ・レメルさん(62)らは根井の存在を知らず、命のビザで知られる外交官の故杉原千畝(1900~86年)発給と思っていた。取材に対し、ホロコーストに触れ「母にとってビザや写真が当時持っていたものの全てだった。根井のビザは家族の宝物だ」と語った。

 「母はビザのおかげで生き抜き、今ではひ孫までいる大家族。根井のビザがなければ私たちはいなかった」。三女、キム・ハイドンさん(53)はディマントさんが孫の結婚式でほほ笑む写真を手に話した。一家は戦争の記憶を伝えるため、ビザや関連資料を、米国のホロコースト博物館に寄贈することを検討する。

 レメルさんらが今春、米カリフォルニア州のディマントさん宅で、箱に保管された古い書類を見つけ、北出さんに連絡。宮崎市や同市の市民団体「根井三郎を顕彰する会」が報道公開した。

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【プロフィル】根井三郎

 ねい・さぶろう 明治35(1902)年、宮崎市佐土原町(旧広瀬村)生まれ。大正10(1921)年、旧制長崎県立大村中を卒業し、外務省留学生採用試験に合格。1925年から中国ハルビン、イランなどで勤め、40年に旧ソ連ウラジオストク日本総領事代理に就任した。戦後は外交官を退職し、大蔵事務官や入国管理庁外務技官、鹿児島と名古屋の入国管理事務所長などを歴任。平成4(1992)年に90歳で死去した。

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【用語解説】命のビザ

 1940年、リトアニアのカウナス駐在領事代理の故杉原千畝が日本政府の命令に反し、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとしたユダヤ難民に発給した日本通過ビザ(査証)が有名。旧ソ連ウラジオストク日本総領事代理の故根井三郎は、杉原のビザを再検閲し要件を満たさない渡航を認めないよう命じられたが「国際的信用から考えて面白からず」と反論。杉原発給のビザに、根井が署名したものも確認されている。杉原は根井がロシア語を学んだ中国ハルビンの日露協会学校の2期上だった。

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