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島国である日本には、外国との地理的観点からみて、いにしえより外交・防衛拠点や交易地であった島は多い。
400を超える有人離島で、国内外に知名度の高い福岡県新宮(しんぐう)町の相島(あいのしま)もその一つ。昨今、さまざまなメディアが「ネコが多く暮らす島」として取り上げ、観光客がどっと押し寄せる。本格的なネコの生態調査も継続して行われている。
相島は新宮漁港沖の玄界灘に浮かぶ周囲約8キロの島だ。北西の方角には日本でもっとも外国に近い島の一つである対馬があり、その先には雄大なユーラシア大陸が広がる。
新宮町のホームページによると、江戸時代の約260年余の間、徳川将軍の代が替わるたびに、朝鮮王朝の外交使節団である朝鮮通信使が祝賀目的で日本へ派遣されてきた。その全12回の来日で、福岡藩であった相島へは11回寄港している。
理由としては、江戸へ向かう海路の途中にあり、荒海の玄界灘で相島の地形が風待ちや潮待ちをするのに適していたからだといわれる。
福岡藩は島で彼らを迎えるため、複数の井戸を掘り、また通信使の上陸用に先波止(さきはと)を、随行者の上陸用に前波止を構築した。現在の相島船着場は、前波止跡を利用しているそうだ。そして島内に接客用の客館を建てて、外国の進んだ文化や情報を知る交流の場もつくった。
ところで島の北東にある長井浜には積石塚(つみいしづか)の古墳があり、自由に立ち入りができる。石の墳丘は小さな城塞のようだ。積石塚では、副葬品のなかに朝鮮半島系の須恵器(すえき)が見つかっている。
足元に気をつけながら歩くと、積石塚群の一角に朝鮮通信使関連墓地の石碑があった。享保4(1719)年、第9次朝鮮通信使来日の際に準備をしていた藩士らが海難事故に遭い、埋葬されたらしい。